みなさん 今夜です。
「吉永小百合x 坂本龍一第一夜」
8月8日23時25分~55分
再放送 8月14日深夜24時30分~25時(8月15日午前0時30分~1時)
8日(木)から2週にわたって放送!『ミュージック・ポートレイト"吉永小百合×坂本龍一"』
消えちゃうことを警戒してNHKのHPからコピペ
一部、rei harakamiの曲が使われていて、グッと来ました。
8月8日放送 吉永小百合 × 坂本龍一 第1夜
坂本龍一 選曲
1曲目<音楽との出会い、そして目覚め>
「2声のインヴェンション 第1番」バッハ
坂本「私は左ぎっちょで、ショパンのワルツなんか特徴的ですけども、右手は美しいメロディーを弾いてるんですが、左手はドンチャッチャッって伴奏をやってます。左ぎっちょの私としては、不公平だ、子どもながらに思っていてですね、これをもらったときに、ドレミファレミドソって出ると、もうすぐ次に左手で同じメロディーが出てくる。対等なんですね、右手と左手が。これは素晴らしいと。それで、そのことを、当時、ドイツに留学していたおじがいたんですけども、汚い字で、『ねえねえ、バッハって知ってる? 左手と右手がね、対等なんだよ』って手紙書いたりした」
吉永「おませだったんですね」
坂本「そのくらい何かうしれしくってね、今でもしっかり入ってしまっている曲なんですけども」
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2曲目<音楽との出会い、そして目覚め>
「弦楽四重奏曲」ドビュッシー
坂本「ほんとに生まれて初めて聴いたとき、びっくりしてね。バッハにしても、このメロディーとこのメロディーが交互に出てくるとか、わかりやすいですよね。ほんとに初歩的な作曲の構造が少しはわかっていたんですけども、全く理解できなくて、強烈に印象に残っている曲なんですよね」
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3曲目<音楽の道へ>
「PIANO PHASE」スティーヴ・ライヒ
坂本「これ、20分ぐらいこのままなんですけども、今のこれを聴いたのは高校3年ぐらいだったのかな、やはり随分びっくりしまして、やはりそれまでの音楽とは随分違っていて、ミニマリズムなんていうんですけど、変化がちょっとしかない。ちょっとずつ変化しながら変わっていくという。『新しい音楽がないかな~』と思って、狩りをするみたいにクンクンとこうにおいをかいで、『あ、これ!』と言ってたので、まあ見つけたわけですよね」
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4曲目<音楽の道へ>
「The Ballad Of Sexual Dependency」クルト・ワイル(歌劇「三文オペラ」より)
坂本「(大学に進学して)なぜか僕は美術のほうにばっかり友達ができてですね、美術の人たちはね、当時は絵なんかかいてないで、演劇やったり、いろんなことをしてたんですね。それで友達の紹介で少し演劇を手伝うようになって、六本木の自由劇場とか黒テントの友達ができて、なぜか手伝ってたんです。で、舞台に立ったこともあるんです、恥ずかしいんですけど。子どもだったのが、ちょっとこう1歩社会に足を踏み出したところでそういう手伝いをして、すごく刺激的でね、(この曲は舞台で使用した曲で)懐かしい思い出があります」
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5曲目<自立、そして卒業>
「CANTON」JAPAN
坂本「(JAPANは)僕より少し年下の子たちで、当時1980年ごろですから、みんなこう髪の毛染めたり、男性なのにお化粧したりしてたバンドなんですけども。お互いに、僕たちがつくった音を彼らが聞いて、またこう刺激されて、で、それがまた返ってきてっていうような、こう音楽でのこうやりとりがね、何年も続いていて、ま、とてもその時の懐かしい曲なんですけどね。やっぱりYMOがなかったら、その海外に出ていくということもなかったと思いますしね。一応その(いろいろな)葛藤があったけど、やはりやってよかったなとは思いますけどね」
8月8日放送 吉永小百合 × 坂本龍一 第1夜
吉永小百合 選曲
1曲目<音楽との出会い、そして目覚め>
「ワルツ 嬰ハ短調」ショパン
吉永「母が若い頃からピアノをやってまして、たまたま父が事業に失敗したりしたもんですから、生計を立てるためにピアノを教えてたということがあって。だから、母が弾くピアノの周りで、バレエもどきですか。「♪ララララララ ラララララ♪」って踊りながら母にまつわりついてたという思い出があるんですね」
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2曲目<音楽との出会い、そして目覚め>
「浜辺の歌」( 映画「二十四の瞳」より)
吉永「(映画「二十四の瞳」)見たのは、小学校の校庭なんですよ。校庭に大きな白い布を張って、全校の生徒が下にペタッとござの上に座って見て、ときどき、風でスクリーンが揺れたりするんですけれども、この作品を見て、もうとても胸が熱くなって、それ以来、私のバイブルになっているんです。そのあと、小学校の学芸会でウサギのお母さんの役を演じたんですよ。それで、学校の隣に医療少年院というのがあったんですね。そこへ行って演じたんですね。そのときにその少年たちが泣いてたんで、私としては、それにまた感動して、『ああ、演じるということはとてもステキなことなんだ』というのを初めてそこで感じた。多分、原点ですね」
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3曲目<俳優と学業のはざまで 葛藤>
「手のひらのうた」(映画「キューポラのある街」より)
吉永「私の家も、とても貧乏だったんですね。(「キューポラのある街」で演じるときに)監督が『「君、貧乏というものをよく考えてごらん」とおっしゃったんですよ。で、私『貧乏ならよく知ってます』と言ったんですけど、『君のうちは山の手の貧乏だろう。本当に大変な下町の貧乏というのがあるんだ』と言われて、そのときはなんか納得しなかったんですけど・・・、実際に川口の町に行って、ものすごい溶鉱炉の火のそばで危険な状況の中で仕事をしている職人さんたちの姿を見たり、町の様子を見てて、何となくわかってきて、で、『考えながら、映画に出演する』ということを初めて、その映画でしたんですね」
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4曲目<俳優と学業のはざまで 葛藤>
『交響曲第6番「田園」』ベートーベン
吉永「学校と仕事(多忙な毎日の)そういう中で、安らぎの場所というので、当時、新宿の、今、歌舞伎町ですかね、音楽喫茶があったんですね」
坂本「当時ね、そういうクラシック喫茶みたいのがあちこちにありましたね。店内に入るとみんなこう静かに聴いて、おしゃべりなんかすると『シーッ』なんて言われちゃってね、そういうとこですよね」
吉永「そうです、そうです。ですから、一人でそこに行って、音楽を聴くのがとても私にとって癒しになったんですね」
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5曲目<自立、そして卒業>
「流れるなら」小椋佳
吉永「(小椋さんの歌に支えてもらいながら、映画「動乱」を)1年間かけて撮影したんですね。そういうぜいたくな撮影って生まれて初めてで。雪から始まって、桜を撮って、夏、セミが鳴くころ撮って、秋に奥入瀬の渓谷を高倉さんと歩いてるところで終わったんですけれども、初めて『映画の魅力ってこういうものなんだ』って、自然とともに撮って、で、表現していくということを知って、ああ、私、もう1回、この世界でしっかりと仕事をしてみたいというふうに思うようになったんです。『動乱』に出たあとは、自分ではっきり「はい」と「イエス」が言えない、言えなきゃいけないって思うようになって、仕事を一緒にやってくれてた、マネージャーに話して、『一人でやってみる』ていうことで、全く一人で(仕事を選ぶ)ように変えたんです」
「吉永小百合x 坂本龍一第一夜」
8月8日23時25分~55分
再放送 8月14日深夜24時30分~25時(8月15日午前0時30分~1時)
8日(木)から2週にわたって放送!『ミュージック・ポートレイト"吉永小百合×坂本龍一"』
消えちゃうことを警戒してNHKのHPからコピペ
一部、rei harakamiの曲が使われていて、グッと来ました。
8月8日放送 吉永小百合 × 坂本龍一 第1夜
坂本龍一 選曲
1曲目<音楽との出会い、そして目覚め>
「2声のインヴェンション 第1番」バッハ
坂本「私は左ぎっちょで、ショパンのワルツなんか特徴的ですけども、右手は美しいメロディーを弾いてるんですが、左手はドンチャッチャッって伴奏をやってます。左ぎっちょの私としては、不公平だ、子どもながらに思っていてですね、これをもらったときに、ドレミファレミドソって出ると、もうすぐ次に左手で同じメロディーが出てくる。対等なんですね、右手と左手が。これは素晴らしいと。それで、そのことを、当時、ドイツに留学していたおじがいたんですけども、汚い字で、『ねえねえ、バッハって知ってる? 左手と右手がね、対等なんだよ』って手紙書いたりした」
吉永「おませだったんですね」
坂本「そのくらい何かうしれしくってね、今でもしっかり入ってしまっている曲なんですけども」
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2曲目<音楽との出会い、そして目覚め>
「弦楽四重奏曲」ドビュッシー
坂本「ほんとに生まれて初めて聴いたとき、びっくりしてね。バッハにしても、このメロディーとこのメロディーが交互に出てくるとか、わかりやすいですよね。ほんとに初歩的な作曲の構造が少しはわかっていたんですけども、全く理解できなくて、強烈に印象に残っている曲なんですよね」
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3曲目<音楽の道へ>
「PIANO PHASE」スティーヴ・ライヒ
坂本「これ、20分ぐらいこのままなんですけども、今のこれを聴いたのは高校3年ぐらいだったのかな、やはり随分びっくりしまして、やはりそれまでの音楽とは随分違っていて、ミニマリズムなんていうんですけど、変化がちょっとしかない。ちょっとずつ変化しながら変わっていくという。『新しい音楽がないかな~』と思って、狩りをするみたいにクンクンとこうにおいをかいで、『あ、これ!』と言ってたので、まあ見つけたわけですよね」
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4曲目<音楽の道へ>
「The Ballad Of Sexual Dependency」クルト・ワイル(歌劇「三文オペラ」より)
坂本「(大学に進学して)なぜか僕は美術のほうにばっかり友達ができてですね、美術の人たちはね、当時は絵なんかかいてないで、演劇やったり、いろんなことをしてたんですね。それで友達の紹介で少し演劇を手伝うようになって、六本木の自由劇場とか黒テントの友達ができて、なぜか手伝ってたんです。で、舞台に立ったこともあるんです、恥ずかしいんですけど。子どもだったのが、ちょっとこう1歩社会に足を踏み出したところでそういう手伝いをして、すごく刺激的でね、(この曲は舞台で使用した曲で)懐かしい思い出があります」
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5曲目<自立、そして卒業>
「CANTON」JAPAN
坂本「(JAPANは)僕より少し年下の子たちで、当時1980年ごろですから、みんなこう髪の毛染めたり、男性なのにお化粧したりしてたバンドなんですけども。お互いに、僕たちがつくった音を彼らが聞いて、またこう刺激されて、で、それがまた返ってきてっていうような、こう音楽でのこうやりとりがね、何年も続いていて、ま、とてもその時の懐かしい曲なんですけどね。やっぱりYMOがなかったら、その海外に出ていくということもなかったと思いますしね。一応その(いろいろな)葛藤があったけど、やはりやってよかったなとは思いますけどね」
8月8日放送 吉永小百合 × 坂本龍一 第1夜
吉永小百合 選曲
1曲目<音楽との出会い、そして目覚め>
「ワルツ 嬰ハ短調」ショパン
吉永「母が若い頃からピアノをやってまして、たまたま父が事業に失敗したりしたもんですから、生計を立てるためにピアノを教えてたということがあって。だから、母が弾くピアノの周りで、バレエもどきですか。「♪ララララララ ラララララ♪」って踊りながら母にまつわりついてたという思い出があるんですね」
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2曲目<音楽との出会い、そして目覚め>
「浜辺の歌」( 映画「二十四の瞳」より)
吉永「(映画「二十四の瞳」)見たのは、小学校の校庭なんですよ。校庭に大きな白い布を張って、全校の生徒が下にペタッとござの上に座って見て、ときどき、風でスクリーンが揺れたりするんですけれども、この作品を見て、もうとても胸が熱くなって、それ以来、私のバイブルになっているんです。そのあと、小学校の学芸会でウサギのお母さんの役を演じたんですよ。それで、学校の隣に医療少年院というのがあったんですね。そこへ行って演じたんですね。そのときにその少年たちが泣いてたんで、私としては、それにまた感動して、『ああ、演じるということはとてもステキなことなんだ』というのを初めてそこで感じた。多分、原点ですね」
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3曲目<俳優と学業のはざまで 葛藤>
「手のひらのうた」(映画「キューポラのある街」より)
吉永「私の家も、とても貧乏だったんですね。(「キューポラのある街」で演じるときに)監督が『「君、貧乏というものをよく考えてごらん」とおっしゃったんですよ。で、私『貧乏ならよく知ってます』と言ったんですけど、『君のうちは山の手の貧乏だろう。本当に大変な下町の貧乏というのがあるんだ』と言われて、そのときはなんか納得しなかったんですけど・・・、実際に川口の町に行って、ものすごい溶鉱炉の火のそばで危険な状況の中で仕事をしている職人さんたちの姿を見たり、町の様子を見てて、何となくわかってきて、で、『考えながら、映画に出演する』ということを初めて、その映画でしたんですね」
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4曲目<俳優と学業のはざまで 葛藤>
『交響曲第6番「田園」』ベートーベン
吉永「学校と仕事(多忙な毎日の)そういう中で、安らぎの場所というので、当時、新宿の、今、歌舞伎町ですかね、音楽喫茶があったんですね」
坂本「当時ね、そういうクラシック喫茶みたいのがあちこちにありましたね。店内に入るとみんなこう静かに聴いて、おしゃべりなんかすると『シーッ』なんて言われちゃってね、そういうとこですよね」
吉永「そうです、そうです。ですから、一人でそこに行って、音楽を聴くのがとても私にとって癒しになったんですね」
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5曲目<自立、そして卒業>
「流れるなら」小椋佳
吉永「(小椋さんの歌に支えてもらいながら、映画「動乱」を)1年間かけて撮影したんですね。そういうぜいたくな撮影って生まれて初めてで。雪から始まって、桜を撮って、夏、セミが鳴くころ撮って、秋に奥入瀬の渓谷を高倉さんと歩いてるところで終わったんですけれども、初めて『映画の魅力ってこういうものなんだ』って、自然とともに撮って、で、表現していくということを知って、ああ、私、もう1回、この世界でしっかりと仕事をしてみたいというふうに思うようになったんです。『動乱』に出たあとは、自分ではっきり「はい」と「イエス」が言えない、言えなきゃいけないって思うようになって、仕事を一緒にやってくれてた、マネージャーに話して、『一人でやってみる』ていうことで、全く一人で(仕事を選ぶ)ように変えたんです」
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