穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「存在」を問うのは祈りか呪文か

2015-04-11 08:01:44 | ハイデッガー

ハイデガーは「俺が初めて(彼の言葉に従えば、古代ギリシャ以来初めて、すなわち元初二回目)、存在を問うたのである。形而上学のすべての在庫を破棄する」とうたいあげる。

何が何でも俺がオリジナルだということだが、本当にそんな独創性があるのだろうか。言葉の目くらましは万華鏡の様にばらまかれるが本当に独創的なのか。

これまで読んだところによって判断すると、彼はきわめて従来的な枠組みの中で理論を構築している。たしかに言葉はあたらしい。造語のオンパレードである。 

彼の哲学の類似性はキリスト教神学とのあいだに強い。もとイエズス会修道士希望者(注)なら当然かも知れない。以下に枠組み対応表を作成してみた。A:とあるのは西欧哲学ないしキリスト教神学など(含む異端魔道)の思想である。B:と有るのはハイデガーの哲学である。

1:彼岸と此岸

A:神、天界、霊界、彼岸、イデアの世界

B:存在

 

2:祈り

A:祈り、祈祷、呪文(魔道)

B:絶えること無く反復される存在への問い(朝昼晩何回となく勤行で称えられる祈祷、読経のようなものだ)

 

3:チャンネル

A:原則として彼岸からの一方通行(ダウンロード・オンリー。ただし魔道魔術においては呪文や儀式により下界から操作可能)

宗教、宗派によって色々に呼ばれる、啓示、さとり、回心

B:上に同じ。用語としては開示、あらわれ、不伏蔵などいろいろ造語がある。

 

4:コミュニケーションの規則性

A:なし 恩寵によって与えられる

B:なし 全くの偶然、或は存在の恣意による。だから問いを絶やさずに身構えていなければならないわけである。

 

5:コミュニケーション言語による伝達可能性

A:なし、というのが一般的である。禅:不立文字 聖書:喩えによらでは答え給わず

B:なし、段落115:

「存在者を存在においてとらえることは、・・・・たいていはことばがかけているばかりでなく、『文法』が欠落している。」

 

ほかにも色々と項目はあるだろうが、ハイデガーは従来型の宗教的思考の枠組みのなかにあると結論せざるを得ない。