穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

「ハイデガーはサイコパスである」ユング

2015-04-14 20:59:30 | ハイデッガー

1時間半ほどお時間をいただけるでしょうか。wave出版「90分でわかるハイデガー」ポール・ストラザーン著、浅見昇吾訳という本があります。 

そのなかでユングの言葉が引用されています。「複雑な凡庸さの巨人・・・ハイデガーの哲学の方法は徹頭徹尾ノイローゼ的で、突き詰めれば気難しさと心の不安定さから出て来たものだ。彼と気のあう友人がいるとすれば、親しい友人であれ、それほど親しくない友人であれ、精神病院にいるだろう。患者としてかもしれないし、哲学的に暴れ回っている精神科医としてかもしれない・・・」

すこし安心しましたね。分からないのは頭の悪いせいだけじゃないらしい。専門家がこれほど思い切ったことを言っているんですね。出典は『ユング書簡集』というのらしい。翻訳が適切かどうか判断出来ませんが、それほどややこしい文章ではないし、問題はないでしょう。

彼の言う「存在」については前に分析しましたが、宗教の世界で言う神、絶対者、彼岸に酷似しています。したがってハイデガーの思想というのは哲学というよりかは宗教といったほうがいい、というのが私の意見です。

そうすると、一部の人たちからはサイコパスのように見られるところがあるのも分かります。私はそれも、宗教家というよりか、霊能者というカテゴリーに入るのではないかと思います。「そのつど」アリストテレスが憑いたり、「そのつど」パルメニデスが憑いたり「そのつど」お稲荷さんの狐が憑いたりする。

この「そのつど」がとにかくなんにでも付くんですね。ハイデガーの文章は。異様です。いま現存在分析のトバ口を読んでいますが、「そのつど私のものなのである」とか、「そのつど可能な存在する様式であり」という具合に何にでもつく。 

何なのでしょうね。時間により変化する私と言う存在者の存在つまり現存在の有時性へと引っ張って行きたいのかもしれません。

誰の哲学でも、哲学は大体総論が面白くても各論(或は具体論あるいは詳論)に入るととたんに質が落ちてつまらなくなる。哲学の内容は全く違いますがヘーゲルなんかでも、そうですね。「存在と時間」も各論「現存在分析」に入って艶が無くなった。