穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

チャンドラーが描く警官三態

2015-04-29 19:59:51 | チャンドラー

 前回の記事を少し補足した方がよさそうだ。湖中の女、270頁あたりまで読み進んだ。大体初期の作品から全作品を通してチャンドラーは警官にローカル色をつけているようだ。

第一は大都会の警察、ロサンジェルスやハリウッドが大都会といえるかどうかだが、まあ有名な都会だな。この辺の刑事はまともというか紳士的なタイプに描いている。

第二は「在」のお巡りだ。これが暴力的で私立探偵を憎むことが甚だしい。なぐる、ける、でっちあげ、なんでも理由なしにやっていいと考えている。「在」という言葉は分かるかな。もう死語かな。大都市と田舎の中間地域のことで、百姓といえども、都会的な嫌らしさ、こすからしさだけは持っている。具体的な例を挙げると差し障りがあるが、「都下**市」と今では呼ばれるところだ。今では都下というのも死語かな。弱ったな、現代日本語は恐ろしく表現力が衰弱したな。

チャンドラーの作品では「ベイ・シティー」だ。この都市は勿論架空だと思うが、ロスから車でちょいとでたところだ。チャンドラーの作品ではもっともよく出てくる地帯である。

第三は山奥の駐在だ。チャンドラーは純朴に描いている。もっともこの手の巡査は湖中の女だけにしか出てこないようだ。マーロウに非常に友好的、協力的に描かれている。

第四といえるかどうか、留置場の警官はわりと普通の人間として描かれている。ロンググッドバイとか湖中の女にも出てくるが。

湖中の女も読んで行くとベイシティーの刑事警官が出てくる。パトカーで停車を命じて、酔っぱらい運転という罪状をでっち上げるために無理矢理マーロウにウイスキーを飲ませて腹を殴る。吐き出したアルコールで背広が汚れると立派な酔っぱらい運転の証拠になる。日本でもやっているのかな、そこまではしていないだろう。このようにチャンドラーの小説では『在』のお巡りはえがかれているのである。 

以上は極おおざっぱに分類した訳で「大体のところ」ぐらいに考えて欲しい。

 


「湖中の女」がいまいちな理由

2015-04-29 06:49:09 | チャンドラー

いつもの癖でチャンドラーを読み返し始めたら一通り全部読んでみようと、湖中の女を三分の一ほど読んでいる。 

どうもいまいち,読書に興がのってこない。何故だろうかと考えた。主人公、依頼者のキャラのせいらしい。この作品の依頼者は日本の週刊誌風の表現でいえば「ビジネスマン」である。といっても日本ではビジネスマンと言えばひらの勤め人(サラリーマン)まで指すが、湖中の女の主人公キングズリーは化粧品会社の支店長だか、部長だか、傭われ重役といった感じなのである。

チャンドラーは彼の肩書きを書いていないが、そんなところらしい。これが彼の主人公らしくない。調子はずれのユニークさがない。こういう階層の連中で桁外れ、調子外れの人間というのはアメリカ社会でもいない。

チャンドラー節もそのせいかどうか、あまり響かない。チャンドラーの作品で繰り返される通奏低音は警察との張り合い(縄張り争い)だが、湖中の女は彼の長編で唯一警官と終止友好的な作品である。これが彼の作品に緊張感を生み出せない理由かも知れない。

もっとも、この作品の警官は山の中の駐在所の純朴な巡査で、ロスのすれっからしのデカとは違う。むしろ巡査の方がひとしきりマーロウの推理、調査方法に感心してしまうのであるが。

 もう一つ、チャンドラーの作品では始まってすぐに印象的な(魅力的とはいわないが)ヤクザ、悪漢が出てくるが、それがない。そのへんも作品にメリハリがつかない理由かも知れない。

訂正(?):

依頼者のキングズリーについて早川文庫の「登場人物」には化粧品会社の社長とあるね。本文に書いてあったかな。書いてあるとすれば最初のほうになければいけないのだが、気が付かなかった。感じとしては「ボス」という印象だが、せいぜい支店長のように読めたがな。あるいは映画化されたときに「社長」になっていたのか。

彼のオフィスに創業者の写真があると書いてあるが、氏名は違っていたと記憶する。とすると、創業者の婿養子に成り上がった男という設定かな。いずれにせよチャンドラー・キャラではない。

追記:ぼちぼちチャンドラーの短編を再読しているのだが、短編にもおなじタイトルの作品がある。当然長編の下敷きになった短編だが、そこでは依頼者は「化粧品会社の支店長」になっている。これなら長編のキャストとしてもぴったりなんだが、早川文庫の「登場人物」リストで化粧品会社社長となっているのは、そうすると、益々わけが分からない。どこから持って来たのかな。