穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

チャンドラー「大いなる眠り」ゴドク

2015-04-23 20:20:32 | チャンドラー

ユングの言う様にハイデガーがサイコパスだとすると、無理して理解しようとして読むとこっちがサイコパスになるかも知れない。というのは冗談ですが、どうもダーザイン分析で内容も平板になったわりには、いきなり前置きもなしに「世界内存在」だとか「気配り」(気づかい、だったかな)とかが、錦の御旗というか黄門様の印籠のように振りかざされるのでこのシリーズもひとまず終わります。また、ネタ切れになれば続きをするかもしれませんが。

そこで、種切れのときはチャンドラーというわけで「大いなる眠り」です。創元社文庫、村上春樹訳、原文と何回も読みましたが、「読む物がなくなったときはチャンドラー」という訳です。前に集中的にチャンドラーを取り上げましたが、大分前になります。続けざまに読む気にはなりませんが、何年か経つと読む気になるのが気に入った「名作」というものでしょう。 

再三読んだというのを、五回で代表させた訳です。五読というのは、だから、正確に五回目というのではなくて、今までに何回も読んだが又、という意味です。

今回初めて感じたのは、プロットが甘いという評判のチャンドラーですが、「大いなる眠り」は重苦しいほど構成が緊密で凝縮されているということです。チャンドラーはその名文で、プロットを読んだり、伏線を発見したりする「一般的」ミステリー読者のような読み方をしないでも、言い換えれば流して読んでも、その文章力で楽しませてくれるということがあります。

訳者の村上春樹のあとがきも大いに読み応えがありますが、この辺はすこし見解が違います。もっとも、例えば後期の「ロング・グッドバイ」などはややこしい伏線はほとんどありません。川の水のようにさらさらと流れる話ですが、それでも勿論おおいに読ませる訳です。それと何だったっけ、「リトル・シスター」だったかな、スジもめためたなものもあります。

わたしもこれまで気づかなかった様に、『大いなる眠り』も蜘蛛の巣の様に絡み合った叙述をほどいて行かなくても楽しめる訳だし、これだけ複雑なwebを一般的読者に一読して直ちに理解させる様に書くことは無理でしょう。それは作者には分かっていても、こりにこったのでしょう。処女長編というので、その辺もまじめにやったのかもしれません。その後は「無駄」な努力はしなくなったのでしょう。

五読目ともなると、こういう楽しみ方もあるのかな、というわけです。どこがどうと、書いてしまっては、この業界の人が言う様にネタバレになるんでしょう。遠慮しておきましょう。

村上春樹氏があとがきで書いていますが、「大いなる眠り」はルモンド誌の世界の名著100冊に選ばれ、またタイムの百冊のすぐれた小説にも選ばれたというが、ロンググッドバイはどうなんだろう。日本ではどうやらロンググッドバイが一番の代表作ということになっているが、欧米では二作品の評価はどうなのかな。

おなじあとがきにあるが、作者は「3ヶ月という驚異的スピードで書き上げた」というが、上に述べた複雑な構成の決定まで含めて三ヶ月で仕上げたのなら驚異的である。文章的な観点からは300頁(ハヤカワ)、原文では200頁弱だろうが、このくらいのスピードは驚異的とも言えないのではないか。文章という物は「ノリ」という側面が有るから、このくらいなら「叉手の間」というのも不自然ではないような気がするが。