穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

水と油の予感、存在と時間の第一部を読む

2015-04-12 09:40:43 | ハイデッガー

これまで序論の論述について述べたが、いよいよ第一部を読み始めた。第一部は段落124から始まる。ざっと段落165あたりまで目を通した。序論でたからかに謳い上げた「存在への問い」を整え仕上げる作業の着手点として「現存在分析」に入ったわけである。 

具体論に入っていきなり細かくなったという印象である。たしかに一部(世界の大部分の哲学者、例えばサルトルのようなフランスの哲学者達)が抵抗し難い魅力を感じたことがわかる面もあり、面白いとは言える。

至る所で「存在論的に」議論しない形而上学の歴史を攻撃するところなど威勢がいい。たしかにこの調子で形而上学の歴史の「在庫」を各個撃破していくのだろう。

すこし読んだだけだが、これで「存在への問い」の完成へ結びつくのかな、という疑念をおぼえた。ますます収斂しがたくなっていく記述のような気がする。実際「存在と時間」は「現存在分析」すら未完のまま中断されている。その後の彼の著作で哲学として、体系として「存在への問い」への解答は出ていないようだし。

未完部分を含めて計画目次が段落123に示されている。その未完の第二部に「有事性の問題系の前段階としての、カントの図式論と時間論」というのがある。これによって推測するに彼は1925年に書いた「カントと形而上学の問題」を全面的に書改めるつもりだったようだ。それもうまくいかなかったということだろう。