穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

X(4)章

2016-05-11 07:26:16 | 反復と忘却

墓の前でわかい坊主が経を読んだ。時々手に持ったお経に眼を落としている。若い僧侶で学生アルバイトなのかもしれない。兄貴がお布施をけちったのだろう。墓地付きの寺から派遣された僧である。読経はすぐに終わってしまった。皆様ご焼香をと、促されて長兄夫婦から焼香を始めた。

鱒添が墓前に進んで焼香をした時に急に風が吹き下ろして来た。二、三区画先の墓のそばにある高い梢に、はげ頭にわずかに残った毛のような葉がしがみついている赤松がある。その幹が強風にしなった。間を置かずにごく近くで雷鳴が天空を疾駆するように轟き去った。彼が墓前から下がるとカンカン照りの空は真っ暗になり篠突くような雨が激しく振り出した。彼はすがさず傘を差したが、他の連中はだれも傘を持っていない。慌てふためいて右往左往しはじめた。うろたえる若い僧侶を抱える様にして長兄が寺まで送り返した。めいめいはそれぞれの車に駆け込み近くのホテルに向った。

直会はホテルの中華料理店で行われた。なにしろ兄弟が多いから円卓がふたつ用意してあった。定年が近い兄達は子供まで連れて来ていた。種馬の様に精力絶倫だった父親は三人の妻を乗り殺したのである。生んだ子供、生き残った子供が何人いるか自分でも分からなくなることがあったらしい。それで「科学者」であった父親は元素番号を振る様に子供達に名前をつけた。三四郎は三番目の妻が生んだ四番目の息子ということがすぐに分かる様になっている。このシステマチックで科学的な方法で息子達に名前を付けて行った。

娘達には十二支にちなんで生年のエトを名前につけた。なんでも「科学者」であった父は娘達を24歳になるまでに全部嫁に出すつもりで忘れない様に生年の干支を振っていったのであった。一番下の娘はへび年だから巳江と名前を付けた。本人はいやがって書類に自分の名前を書く時にはミエとキラキラネーム風に記入していた。

父親は娘は全員24歳までに片付けてしまうつもりであったが、24歳までに結婚した娘はひとりもいなかった。此れだけは「科学者」の父にも意の様にならなかったらしい。

一番上の兄は来年が定年である。子会社の役員に出向することになっている。

「お前は用意がよかったな。傘を持ってくるなんて、この天気だってのに」と三四郎にテーブルの向うからいつもの馬鹿にしたような、非難するような口調で話しかけた。

「ああ、天気予報が信用出来なかったんでね。前にも同じようなことがあったよ」

「ふーん、何時だい」

「兄さんの弁護士と会う日だったな」

父親が死んだ後の処理ですべてを惣領ぶって自分の思い通りにしようとした兄と意見が違ったことがあった。兄はいきなり弁護士を差し向けて来たことがあった。

「その日もね」と三四郎は思い出す様にゆっくりとっしゃべった。「午前中は今日みたいに晴天だった。それがホテルまで行く途中でいきなり土砂降りさ。天気予報では雨なんか降る筈がなかったんだが、なんとなくカンが働いたんだね、その日も傘を持って行った」

兄は分厚い縁なし眼鏡の奥から何時ものように眼をショボショボさせながら無言で三四郎を観察するように眺めた。この兄は疑い深くて父親の葬式の前後にも、女性関係では盛んだった父親の隠し子が何処からか現れるのではないかと三四郎達にくどくどと注意していたことがある。