長兄の名前は一郎という。次々と妻と死別して再婚を繰り返し沢山の子供を産むなんてことを予想していなかった父は最初の妻の最初の男の子には一郎と単純ですっきりした名前をつけたのであった。
三四郎とはなにしろ20歳くらい年が違う。『20歳くらい』というわけだが、これだけ年が離れて家で一緒に生活することもほとんどなかった兄弟だと誕生した年のこと等分からない。勿論聞いたことはあるのだが、すぐに忘れてしまう。
年齢の近いきょうだいだと今度は逆に忘れようとしても忘れられない訳である。彼が大学生の頃に三番目の母である三四郎の母と父は結婚した。それから彼はぐれだして、落第を繰り返した。そのころに彼は「三人の母」という小説めいたものを書いた。一郎の下の兄、かれもまだ次郎というすっきりとした名前だったが、次郎が三四郎に話した。その原稿を次兄が持っていて三四郎は読んだことがある。
一郎は父に激しい敵意をいだいていたが、独裁的で抑圧的な父に向ってはその怒りを発散することが出来ず、新しい母に敵意を抱いていた。そしてその最初の男の子である三四郎に対しても同様であった。三四郎は自分の幼時の記憶はないのだが、彼が母親の胎内にいた時や幼時の時の様子はどうだったか知りたいと折りにつけて考えた。
なにしろ二まわりも年が違うから警戒する必要もない。三四郎に嫌悪感を隠さずあからさまに示した。だから比較的分かりやすい兄ではあったわけである。肚の中ではどう思っているだろうか、と心配や不安を抱かなくても済む。表面だけ見ていれば彼のそのときの気持ちは間違いなく伝わってきた。
父は一切昔のことを話さなかった。また聞くことを許すような雰囲気はなかった。三四郎の母親も彼に父の前妻のことを尋ねられると身体を震わしていやがるので彼には聞けなかった。しかし兄達という「前妻の証拠」があるわけで隠すこと等できないのだが。中学生にもなればいやでも興味を抱かざるを得ない。
そこで唯一の情報源が「小説・三人の母」であった。