二通りの科学哲学(ハイデガーの言葉でいえば個別科学の論理学)がある。
つまり、「遅ればせの」(後追いの)論理学と先導的な論理学である。つまりアポステリオリの科学哲学とアプリオリのそれである。
「存在と時間」は1927年に出版されたが、ちょうどいわゆる科学哲学が隆盛に向かうころだが、その後の科学哲学はすべて後追いの論理であるようである(科学哲学業界に詳しくない人間の印象である)。
科学研究を先導する方法論(哲学的)などないと思います。天才の超人的な頭脳スーパーコンピューターがぶん回って煙が出始めるころにぱっとひらめくのが通例ではないでしょうか。科学の最先端の開発のありようはそのようにクリエイティブなものだと思う。方法論やハウツウものを超越していると思う。むしろ方法論は創造性を委縮させるものだと思う。
カントの場合、三批判書は本人によって予備学と位置付けられている。カントはさらに自然哲学(自然科学)をこの予備学の上に構想していたようだ。そちらのほうが本番であったらしい。
カントにはその種のものが二つある。一つはまだ活発に研究していた1786年に出版された「自然科学の形而上学的原理」で、これは前の世代に確立されたニュートン力学の基礎をまとめたものらしい。つまり「後追いの、遅ればせの論理学」である。
もう一つは遺稿の中に含まれているもので完成しなかった。「自然科学の形而上原理から物理学への移行」と題された大量のメモがあるらしい。これは「自然科学のための先導的な方法論」になる予定だったようである。
これはカント全集に入っているのだろうか。どう問題を料理しようとしていたか興味はある。