穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

南米移民

2016-06-03 08:17:27 | 反復と忘却

第N(3)章

実際その頃の彼は『現状全否定モード』だった。南米の農業移民に応募しようと思ったことがある。南米か中米の何処かの国への農業移民を募集していたのをテレビで見たのである。朝飯を食うと彼は家を出たが、高校には行かずに鍛冶橋の都庁に行った。どの部屋に入ったらいいのか分からないので見当をつけて入った部屋で南米移住の希望を話した。

初老の意地の悪そうな口やかましい田舎親父のような面をした職員は馬鹿にしたような陰険な目付きで彼を観察した。

「この間テレビで募集していたでしょう」と三四郎はテレビ・ドキュメントの内容を伝えた。

「今頃移民の話なんてあるわけがないだろう」と田舎親父は馬鹿にした様に言った。考えてみれば高度経済成長を達成してジャブジャブと金を捨てるように海外への経済援助を始めた日本から移民する計画等ある訳が無いのである。

「ドキュメンタリーだって、そんなことはしていないよ」とつっけんどんに言われた時に、たまたまそばを通りかかった別の職員が彼らの話を小耳に挟んで

「それは終戦直後の話だろう」と同僚に教えた。

そこで三四郎ははっと気が付いたのである。『そういえばテレビの映像はモノクロだった。しかも映像はかなりぼやけていた。そうか昔の記録映画なのか』と初めて気が付いたのである。そういえば、そのテレビ番組も最初から見ていた訳ではない。たまたまチャンネルをひねったときに途中から眼に飛び込んで来たので、彼はてっきり現在募集中だと思い込んでしまった。こいつは絶好の現状からの脱出機会と思ったのだったが。番組の最後に都庁が受付窓口になっているというテロップだけはハッキリと覚えたいたのである。

すごすごと都庁を出ると彼は馬場先門まで歩いて行って日比谷公園のベンチに座り込んだ。じっさい三四郎が崩壊しなかったのはインスタント・コーヒーとエルヴィス・プレスリーのレコードのおかげだったかもしれない。一日スプーン山盛り15杯のインスタント・コーヒーと100グラムの砂糖が無かったら彼の意識は持たなかっただろう。インスタント・コーヒーだけでは駄目なのである。大量の砂糖は必需の薬品のようなものであった。それとプレスリーのロックンロールだ。いわばネガに対するポジのようなものだ。