なぜそんなものを読むかとびっくりする人がいるかもしれない。実は別稿で「小説のようなもの」を書いていて、ベトナム戦争時の世相を確認する必要があった。べつに資料は小説でなくても良いのだが、ここが小説等の書評ブログなので、資料的な小説がないかな、と探してみた。これが意外にない。おおまかにいえば1960−1975当たりなんだがね。
携帯電話がまだ無かったことは間違いないと思うんだがな。JRはまだ国電なんていっていたような。自動車電話はあったような。ちょいと小味をきかそうと思ったんだが、そのくらいのことしか思い出さない。そこで小説を探したんだが、ようやく見つけたのが優駿なわけ。ベトナム戦争より小説がカバーしている時機は前後に長いんだけどね。これが新潮文庫で上下二巻。こんなに長い小説はよほどのことがないと読まないのだが、他になければしょうがない。いま上巻の176頁。いや、ひろいものだった。なかなかいい。
いつも途中か最初に解説を読むんだが、これは全くのピント外れ。岩波剛とかいう演劇評論家だそうだが、やたらドストエフスキーと比べる。とんちんかんだ。
ほめるならもうすこしましな褒め方がほしいな、プロなら。もっとも作者はこの解説をつけるのを認めているのだから、ドストと比較されてまんざらではないのかも知れない。
そうそう、もう一つ、小説の記述によると1960年頃らしい(複雑な計算をしたので間違えているかも知れない)が、JRAはまだオッズを発表していなかったなんて書いてある。さっそく確認しなくちゃ。これもなにかに使えるかも知れない。そういえば、いまはない競馬新聞もあったな。
JRA文化賞を取った小説というが分かる。面白いことには異論がない。文章がうまいということだ、わたしが面白いというのは。ドストがどうのこうのなんて関係ない。
そうそう、東京都庁は鍛冶橋にありましたね。いま国際フォーラム(東京フォーラムだったかな)のあったところです。これは使わせていただきました。