間抜けな雀が部屋に飛び込もうとして網戸に気づかずにぶつかってドサリとベランダに落ちた。びっくりして三四郎が窓の方を見ると栄養失調のような痩せた雀はようやく体勢を立て直して庭の奥へ飛去った。彼ははっとして意識を取り戻すと押し入れを開けた。とにかく母には見つからないうちにエロ雑誌を捨てに行かなければ、と気が付いたのである。
蒲団の下に手を突っ込んで探るが雑誌はない。彼は蒲団を一枚一枚取り出して畳の上に放り投げた。空っぽになった押し入れにはどこにも週間特ダネは見当たらなかった。がらくたを詰め込んである押し入れの反対側も調べた。天袋も苦労して中身を取り出して調べたが無かった。誰かが持って行ったに違いない。母でないことは確かだ、もし母が見つけたなら黙っているわけがない。きっと何か言われる。第一母がそんな留守中に彼の持ち物や部屋をこそこそ探るような人ではない。父親の筈がない。父は彼の部屋には入ってこない。
お手伝いだろうか。それも考えられない。彼女はいかにも善良そうなおばあさんである。もし、掃除や蒲団干しでもして雑誌を見つけても、中を見るようなはしたない真似をする人ではない。第一それを持ち去るなどということは絶対に考えられないことである。
「そういえば」と彼ははじめて気が付いたように思った。「自分の留守中に部屋を探られた気配があった」。時々有った筈の文房具が何処を探しても見当たらないことが何回かあった。気にもしていなかったが、急にそれらのことが意識のなかに集中して上って来た。
妹だろうか。ショウコかも知れない。彼女は幼い頃から人の物と自分の物の区別に気が付かない所があった。自分の気に入ると眼を付けたら他人の物も勝手に自分の物にしてしまう。気が付いて注意してもまったく何も感じないらしい。絶対に返そうとしないのである。子供の持っている物だから金額のはる物という訳ではないが、彼が中学生の修学旅行で関西に行った時にお土産に買った民芸品風にこしらえた筆立てもいつの間にか彼女が使っていた。
彼女のことを年上の兄達はメエメエと可愛がっていた。名前が羊子とかいてショウコと読ませていたのである。兄達になぜそう読んでいるのか聞いたことがある。確かに妹は彼より三つ年下でヒツジ年うまれだった。干支ではヒツジは未と書く。羊とか書かない。彼女はもともと祥子という名前だったらしい。父親が妾に生ませた子であるそうだ。生まれてまもなく生母が病没した。兄達の表現によれば父親に乗り殺されたのである。生母の親戚に赤ん坊の引き取り手がなかったので父が家に入れたのである。彼自身もそのころは物心もつかない赤ん坊であったので、勿論そんな経緯は大分後になってから兄に聞くまで知らなかった。
三四郎のすぐ下の妹がヘビ年ですでに巳江(ミエ)という名前を付けられていたので、おなじ未(ミ)を使うと呼ぶ時に紛らわしいというので、最初につけた名前の祥子から、偏だけ除いて羊の字を残したということだ。