穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第N(8)章 父の外面

2016-06-17 09:00:46 | 小説みたいなもの

 羽柴秀吉も驚く異様な出世スピードからも分かる様に父は如才のない人物で世間では天真爛漫な愛嬌者で通っていた。出世に役に立つと目を付けた相手にはとことん愛想を振りまいて取り入る。そのかわり下僚には過酷に当たった。同僚でも役に立たないと思った相手には非情であった。

その代わりというか、その埋め合わせをして精神の均衡を保つためか、家では理屈の通らない暴君であった。それは自分自身の母親にも当てはまった。

三四郎の母が結婚して家に入った時である、二人の部屋に祖母を呼びつけて一、二分簡単な紹介をした後で、父は祖母に向って「もう下がってよろしい」と言って部屋を追い出したのである。

万事がこの調子で祖母はしばらくして父の家を逃げ出て叔父の家に住み着いてしまった。この話を彼は叔母から聞いた。上の兄達も父親のきびしい虐待から逃れる様に叔父の家に入り浸った。そこで祖母や彼女の周りに集まる親戚の連中から散々父の悪口を吹き込まれたのである。それを,又おうむ返しに兄達は三四郎達に話すのであった。

父親というのは子供にとっては「社会」を意味する。世間の規範を意味する。往々にして強圧的な父親のいる家庭では子供は反社会的になる。権威と言う者に対する尊敬の念を失っていく。このような家庭から社会運動というか反体制的な思想に染まって行く若者が出る場合が多い。 

三四郎の場合も同様であって、左翼運動家や共産党などが高校に浸透してオルグを作っていたが、そういうグループに参加する様になった。とにかく、入り口では歯の浮くような言葉を並べ立てて三四郎のようなはぐれ者の高校生を取り込んでいたのであった。かれもそういうグループの一つに引きづり込まれて国鉄の駅前等で反戦ビラを配ったり幟を握って立っていたのであった。

彼らのグループを組織したのは高校に地学の講師として来ていた東大の大学院生であった。まだ若いだろうに、険しい表情をしたやせこけた小男であった。彼はいつも不快な臭いがした。クレゾールのような消毒液の臭いと混じっていた。長年寝たきりだった次兄の部屋の周囲で漂う死を連想させる臭いであった。

そのグループのメンバーで同級生数人と彼の下宿に言ったことがある。黒く汚れてささくれ立った畳の敷いてある六畳ほどの広さの部屋であった。台所や便所は共用らしかった。二階にあるその部屋には本の重みでひん曲がった安物の本棚が置いてあり、そこには文庫本ばかりが並んでいた。岩波文庫の青帯が半分ぐらいを占めていた。

彼は「いま小説を書いているんだ」とか言っていた。この部屋にも彼の身体から漂う嫌な臭いがかなり強かった。かれは右手を皆の前に突き出した。

「匂うだろ、何の臭いだかわかるか。お前達も気持ちが悪いだろう。おれもなんとかして消そうとしているんだがいくら風呂に入っても消えないんだ」

皆が黙っていると、目の前の少年達の疑問に答えてやろうというように話しだした。かれは米軍基地でアルバイトをしていると話しはじめた。

「これは死体の臓物の臭いなんだ」と言った。

「場でアルバイトですか」と一人が言った。

やせこけた男は答えた。「そうじゃない。人間の死体を捌くのさ。そのかわりいい金になる」と講師は皆の顔の反応を見る様に口を閉ざした。