東京の西の外れにある講師のアパートをおとずれた高校生達はまとまって中央線で帰った。途中で一人おり、二人おりて市ヶ谷ではとうとう三四郎と平島の二人だけになった。
このサークルに三四郎を誘ったのは平島だった。三四郎には去年あたりからまったく友人がいなくなった。誰も寄ってこないし、彼自身が友達を求めて行く気もなかったのである。そんななかでどういうわけか平島はよく彼に話しかけて来たのである。もっぱら平島が一人で話していることが多かった。三四郎はたいてい黙って聞いていた。話は大体が詩の話とか小説家の話題だった。三四郎は全然興味が無かったから黙って聞いていることが多かった。
なにを言っても文句も言わず反論もせずに黙って聞いている彼が平島にとっては都合が良かったのだろう。彼はまた映画の話をよくした。彼の兄がテレビ会社に勤めていた。外国の映画の輸入に関わっていたらしい。そういう関係なのかまだ日本のテレビで放映されていない映画の話を得意そうにすることがあった。これも三四郎にはさして興味はなかったが黙って聞いてやっていた。
彼は又自分が読んでいた本を三四郎に貸したがった。この間も熱に浮かれた様にリルケの話をしていたが、彼にその詩集を押し付けたのである。少し読んで三四郎には何の感興も湧かなかったが、返す時になにか言わなければ悪いと思って無理をして飛ばし読みをしたのである。
「世の中にはすごいアルバイトがあるものだね、そうとう給料はいいんだろうね」と平島はさっき若い先生のアパートで聞いた話を持ち出した。電車はお茶の水渓谷の崖の上を走っていた。
「いつごろから始めたんだろうか。前にはあんな臭いはしなかったよね」
その講師は昨年から高校に来たのである。
「そういえば去年の暮れころから気が付いたな」と三四郎は言った。
「ベトコンの反撃が激しくなって米軍の死傷者が急増しているというから小島先生みたいな人まで募集しているのだろう」
「あんなことをぺらぺら話して良いのかな。米軍から厳重に口止めされているんじゃないかな」
「そうだよね、口が軽すぎるみたいだ。皆に臭い臭いと言われるから弁解しないといけないと思ったんだろうね」
「よく分からないのは、彼はベトナム戦争反対運動家なのに、よくあんな仕事に就けたね。アメリカは身元なんかチェックしなかったのかな」
「取り出した内蔵はどう処分するんだろう」と三四郎は平島の疑問には答えず、ぽつんと言った。平島はびっくりしたように横に座っている彼の顔を見た。
「そういえば、小島先生も最近変わって来たね」と平島は話題を転じた。
実際、金回りが良くなったせいか、講師の金遣いが荒くなり女遊びが激しくなっていた。口の悪い生徒達は彼のことを「コンクリートで下半身を固めたおとこ」と揶揄していたが、その頃には下半身を覆っていたコンクリートは破砕されていたらしい。
生徒達のなかには彼に新宿二丁目あたりに連れて行かれたもの達もいた。やがて彼は共産党を除名され、サークルも自然消滅したのである。