穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

第N(12)章 二人目の侵入者

2016-06-26 08:52:17 | 反復と忘却

 三四郎は平島と分かれて水道橋で国電(省線)を降りた後楽園球場のそばを通った。誰かがホームランを打ったのか、あるいは守備でファインプレーがあったのか夜空をどよもした観客の歓声が彼の上におりてきて彼を包んだ。競輪場の横を右に曲がると千川通りに入り、こんにゃく閻魔の近くまで来た時に彼は一昨年同級生と家の中で鉢合わせしたことを思い出した。警察ザタにもなったどろぼうの被害はまだ彼が小さい頃の話であったが、同級生が家に侵入して来たのは一昨年のことだった。

家にかえって来た彼は二階にいた同級生と鉢合わせしたのである。顔を知っていたが話したこともないし、友達でもない。二階の座敷に入り込んでいたその少年は帰宅した彼を見ると狼狽を隠す様に訳の分からないニタニタ笑いを浮かべ身を翻して納戸の小窓からベランダに出てそとに生えている木を伝って逃げて行った。

ちょうど入って来た所らしい。なにも取られていないようだった。三四郎はこの事件を家族にも報告しなかったし学校の先生にも言わなかった。どうしてだか分からない。少年の浮かべた恥ずかしそうなニタニタ笑いが彼の警戒心を解除したとしか言いようがない。又、あいつがはいったのだろうか。かれとは高校で顔をあわせたことがないから別の高校に行ったのかも知れない。あるいは中学を出てすぐに働きに出たのかも知れない。

今回も三四郎には彼が又入って来てエロ雑誌だけを持ち去ったとは考えられないのである。「おたよりください」欄を見たと言って電話をかけて来たのはその後数人いた。彼は家にいるときは階下の廊下にある電話の近くをうろうろしていて、電話のベルが鳴ると受話器に飛びついた。ひと月もたつと彼を恥ずかしさと恐怖のどん底に陥れた「エロ電話」もかかってこなくなった。

そうすると、と彼は考えてぞっとした。ショウコでないとすると、俺が夢遊病者の様に知らない間に投書をしたということがあるのだろうか。あの一撃以来彼はふっと自信が持てなくなる時があるのである。栓をあけた途端にポンと出てくるコーラの気泡の用に何かが身体から飛び去って行ってしまったような気がするのだ。