「父」はカフカの場合いうまでもなく体罰の執行者(審判)であり、不可侵、不可越な壁(城)であり、追放者(アメリカあるいは失踪者)である。
彼の場合、社会や国家とか組織は父のイメージを仮託したものであり、評論家達の定説になっているような物語の対象ではない。変身でもいわゆる不条理は「父」を表していると見るべきだろう。
カフカには未送達の遺稿メモに「父への手紙」というのがある。
ドスト作品には「悪霊」まで父が出てこない。そこで初めて「育児放棄者」として「父」が出てくる。後期長編群個々で見ると;
罪と罰:全く出てこない
白痴:幼時に死別(だったかな、ようするに未出)
悪霊:戯画化されたオールド・リベラリストとしての育児放棄者
成人してテロリストとなった息子とパトロネスの家で再会する。
未成年:育児放棄者、成人してから息子と再開
カラマーゾフの兄弟:
父は育児放棄者である。物語では成人した息子達と再開して物語が進展
育児放棄と子殺しは実質的に同じであるから、父がある程度の役割を果たしている作品では父は同じ扱いである。
よくカラマーゾフは父殺しのミステリーであるというが間違いである。フョードル(だったけ)殺しは物語のアヤにすぎない。