女のからだってのはな、と平島が話し始めた。粗悪なゴムで作った風船みたいな物だよ。そうなんだ、と三四郎はすぐに彼の人生の師匠である平島の言葉を採用した。何の問題もない。
「おんなにも精神があるわよ」とポルノ小説編集者がよこから口を挟んだ。もう大分アルコールが回ったような話し方だ。
「それはある。しかし女の場合、四輪駆動なんだ。精神と肉体は分離しがたい。それだけにいざギアがかかると全車輪が分ちがたく連動してとんでもない暴走をする」
女がむせて口に含んだ液体を霧状にカウンターの上にまき散らした。彼女は濡れたカウンターを手のひらでなで回している。バーテンダーが飛んで来てダスターで拭いた。
彼女は濡れた手を平島君の上着の肩で拭いた。そしてポツンと「上だったの」と三四郎に聞いた。
「えっ、何ですか」
「それは上だろうな」と平島君が注釈を入れた。「まさか後ろじゃないだろう」
「レスリングじゃあるまいし、バックをとるなんて手が初心者の彼に出来わけがない」
「それもそうね」
上下、前後と大分ややこしくなってきた。平島が初めて気が付いた様に呟いた。「いつからだろう、正対位になったのは。類人猿の体位はどうなんだろうな」
「ホモ・エレクトスからじゃないかしら。物理的にも」
「ホモ・エレクトスってなんですか」
「ホモ・サピエンスの前にいた種じゃなかったかな、違うかな」
彼女が言った。「哺乳類に正対位は不可能ね。四つ足が邪魔してどうアクロバットをしてみてもドッキング不可能よね。鳥類も駄目だ、魚も無理よ」
「ちょっと待てよ」と平島が言った。「クジラはどうなんだろうな。アザラシとか。あの体系だとなんだか正対してやれそうだな。水の中でくるくる回りながら出来そうだ」
「からだ付きからすると水棲の哺乳類は正対位で可能じゃないかな。第一それ以外の体位は不可能なからだをしている。クジラなんかは」と平島は得意そうに総括した。
彼女が馬鹿にしたように言った。「そんなこと、専門の動物学者に聞けばすぐ分かるわよ。私たちが知らないだけでありふれた知識でしょうよ」
「そうすると、人間だけが三十八手の使い手ということだな」
ところで、と三四郎は聞いた。「お前、ボヴァリー夫人がどうのこうのと言っていたな。なんか体位と関係があるのか」
「彼女が唐突に妙な質問をするから話がそれてしまったな。ボヴァリー夫人の物語というのは膨らんだ風船は元に戻らないという話でね」
「それで、それがなんで俺と関係があるんだ」
「あるといえばある、ないといえばない」