穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

まめなカフカ、その二

2016-10-08 08:25:54 | カフカ

生前カフカの作品で刊行されたのはいくつかの短編あるいは小品だけであったのは、おそらく作品に市場性が無かったからだろう。つまり出版社からの注文がない。売り込んでも出版してくれない。とくに長編はそうだっただろう。だから既に小説家として一家をなしていた友人のブロートの紹介でわずかの短編が世に出たと思われる。

その辺の事情を「カフカの生涯」に期待していたのだがあまり書いていない。よく専門家がいうことだが、カフカは長編の結末がはかどらなかったから長編は遺作になったというが本当だろうか。出版のメドがつかなければ作家という物はいつまでも作品を弄くり回し、手を入れるものではないか。あえてまとめる必要もない。これがカフカの長編にいくつものバージョンがある理由だと思う。 

さてカフカの作家としての生活は修道僧を思わせる。出版のあてもない作品を毎日(毎晩)書き続けるという態度は真摯というか「マメ」というか。彼は判で押したような日常を送ったらしい。役所のようなところに勤めていて勤務時間は午前八時から午後二時まで。家に帰ると家族と昼食して一眠り、夕方から母親が作った夜食をぶら下げて仕事場に歩いて行く。そして明け方に一眠りして役所に行く。 

仕事場も妹が借りていた部屋だったりした。プラハの冬の夜は零下10度に気温が下がるが、彼は暖房の無い部屋で外套を着て足に毛布を巻いて朝まで執筆したらしい。この熱意と言うか執念はなんだろう。

 


カフカの生涯

2016-10-08 02:33:15 | カフカ

 カフカの長編のすべてと短編の多くが死後大分たってから友人マックス・ブロートの手でまとめられ公刊された。その後半世紀以上にわたっていろいろな人の手、出版社によって編集され刊行されているということである。

そこで他の作家ではあまりしないことだが、初歩的でもある程度書誌的な知識が必要だろうと思い池内紀氏の「カフカの生涯」を読んだ。

カフカというのはまめな男だなという印象である。とくに女性に関しては。そして小説執筆に関しても実に「まめ」である。

女性関係の記述は30歳前後から増えてくる。それまでは当時の社会の慣行(?)にカフカも従いレストランのウェイトレスなどに話を付けて食堂の二階を利用するとかその手の連れ込み宿を利用していたらしい。性欲処理にはさして普通の青年とかわりが無かったようである。

それで思い出したが欧州の知識人の慣行(あるいは、だった)なのだろうな。ミラン・クンデラの小説にもそんな主人公の日常が出てくる。たしかサルトルの「嘔吐」の主人公の性欲処理方法でもあったような記憶があるが。

ま、それはともかく、閑話休題(だぶるね)、カフカの性欲処理方法も相手が不特定多数で、それほど特殊ではないから「カフカの生涯」でも詳しい記述がない。

それが三十歳ころから特定、同階級というか、素人(たち)というか、の女性との集中的関係が増えてくる。これが伝記的にも書きやすいのはカフカが一日に多い時には三通も四通も手紙を書き、相手の女性達がそれを大事の生涯保存していたから伝記作者は書きやすいのである。これが結核の進行と奇麗にシンクロしている。

この辺が印象深かったのは私の良く知っている人間も結核で異常に性欲が昂進した例を見ているからである。結核患者は普通人以上に性欲がたかまるらしい。結核は消耗性の病気だから女性関係は控えなければいけないのだが、押さえきれなくなるらしい。しかもそれが患者の一方的なものでなく、結核患者というものは女性にたいして強烈なホルモン効果を生む物らしい。なにか未発見のフェロモンでもだしているのか。

カフカの場合、それは短期集中的である。つまり一年ほどのあいだに500通ほどのラブレターを交換するがそれで終息する。焼けぼっくいに火がつくこともある(フェリーツェの例)。しかし今度は別の女性に熱を上げる。病をおして無理な長距離旅行をして女に会いにいく。30歳以降そういう女性が数人いた。一種の艶福家だね。女はまめな男に弱い。どう考えても結核菌が脳の性欲中枢を刺激したとしか考えられない。

カフカが偉いのはそれらの女性との関係を作品に持ち込まないことである。作品にまったく反映させない。この辺は感心する。日本の私小説でも昔は結核患者が主人公である(つまり作者自身である)。そしてカフカの例の様に女性関係がにぎやかである。そして、それを作品に持ち込む、私小説という作品に。ま、一昔前の日本の私小説というのはそう言う物だった。

次回は仕事にもまめであったカフカです。