質問をすることを思いつかないから彼は黙ってしまった。彼女もうつろな目付きをして店内に流れる曲を聴いているらしい。突然彼女がラフマニノフはお好き?と聞いた。そうすると今流れているのはラフマニノフらしい。
「いえ別に、これはラフマニノフなんですか」
どんな音楽家が好きなの、と彼女は質問には答えないで聞いて来た。聞かなくても分かったらしい。彼はこういう曲は好きではないと理解したらしい。本当のところは好きでも嫌いでもないのだが。
「別にありませんね。音痴ですから。強いていえばハッキリとした曲かな。よく途中をちょこっと聞いてこれは誰のなんと言う曲だとかクイズを当てるみたいにいう人がいるでしょう。そういう人を見ると驚いちゃうんですね。僕が聞いてすぐにこれは誰だって分かるのはエルヴィス・プレスリーくらいですよ」
猫も杓子もビートルズの時代である。古いわね、というように彼女は顔をしかめた。「嫌いな曲というのはありますよ」と彼は言ってみた。「たとえば演歌ですね。流行歌も大体嫌いですね」
「それじゃスナックじゃ浮いちゃうわね」
「そうでしょうね。童謡もすきですよ」と彼は追い打ちをかけた。「演歌が嫌いなのは母親の影響なんですね。クラッシックは母親がよく演奏会に連れて行ったから好きにもなってよかったんですがね。どうしてだろう。もっともドニゼッティのレコードはよく聞くけど」
「ドニゼッティって」
「イタリアの歌劇作者です。ちょっと古いけど」
「どうしてその曲が好きなの」
さあ、どうしてだろうと彼は考えた。普段は反省的に分析していないのである。
彼女は新しいハイライトに火をつけた。
「そうですね。考えてみると、人間の肉声というのも一種の楽器ですよね。そしてもっとも官能的な楽器である。ドニゼッティは非常に技巧的な作曲家で非常に技巧的なテクニックを歌手に要求する。そんなところが関係あるのかな」
「なるほどね、演歌が嫌いというのもその同一線上にあるみたいね。非常に技巧的にもっとも嫌らしく官能的に歌うのが演歌だものね」
三四郎は彼女の顔を見た。なるほど、そう言うことかも知れない。
彼女は左腕をすこし挙げると目を細めて時計を見た。ちょっと待っててね、というとハンドバックをさらって席を立った。三十分ぐらい戻ってこなかった。
「そろそろ出ましょうか。さっきからボーイが催促するみたいにこっちをみているから」
彼女はお茶の水から電車に乗るという。外に出ると雨が降り出していた。二人は傘もなしに駿河台の坂を登りびしょ濡れになってお茶の水駅に着いた。
「あなたの家は?」
「僕はバスで帰りますから」といって分かれた。バスはなかなか来なかった。川底からは冷たい風が橋の上に吹き上げて来ていた。