穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

6:政治的テロの可能性

2021-01-03 08:59:26 | 小説みたいなもの

 ここまで陳述して喉が干上がってしまった甲はテーブルの上から秘書の乙に命じて特注したさつまいも汁のボトルを取り上げて喉に湿りをくれた。本部長閣下が質問した。

「テロの可能性はありますか、政治的な意図と言うか」

「お答えいたします。それは今のところ見つかっていません、そうだな」と甲は隣に座っていた公安部長を睨み下ろした。

「それは一件もありません」と公安部長の癸巳(ミズノトミ)が答えた。

「断言出来るのかね」

「100パーセントございません」

「そう断言できるものかね」と本部長は疑い深そうに呟いた。政治的テロならそれなりに犯人を手繰る手だてがある。正体をあぶりだすことが出来るんだがな、と考えた。

「犯人は自己主張をまったくしないのかね」と念を押した。

「いや、それは」と甲は慌てて割り込んだ。「犯人の中には非常に饒舌なものがおります」

「それで言っていることは同じなのかね」

「いえ、それがまちまちでして」

「たとえばどんなことだ」

「さきほどもご紹介いたしましたが、昨日の秋葉原事件の犯人はSNSをやっておりまして、そこで誹謗中傷されて仲間外れにされたというのであります」

「なんだい、そのSNSとかいうのか」

「インターネットを介して会話と言うか意思疎通というかぺちゃくちゃやるのであります。いろいろなサービスがございましてほかにツイッターとか掲示板とかラインとか無数にございます。そうそう、掲示板で仲間外れにされたというので犯行に及んだと主張する犯人もありました」

「それで、そこでは政治的、反政府的主張をしているのですか」

「さあ、それは少ないと思います」

「じゃあ、どんなことを『話す』のですか」

「今どこにいるとか、どこに昨日行ったとか、どこの飯屋がうまかったとか、およそ、会話を交換する意味のないことのようです。そうだな」と甲は陪席する部下に聞いた。

「それで、そういう話を仲間内で交換するのか。それで相手にされないと怒り狂うわけだな」

「ああ、そうでした、昨日の秋葉原事件の犯人はゲームマニアでして、ゲームの話ばかりしていたようです」

「一体幾つの男なんだ」

「たしか35歳だったな」と甲は公安部長に確認した。

「いい大人のなのにな」と誰かが感慨を漏らした。

教授が発言した。「その男の陳述は興味深いな。ほかにありますか」

「いや、逮捕したばかりでして今申し上げたことだけがこれまでの陳述で分かっております。引き続き聴取をしてまいります」

「そうですか、ぜひ供述の全体をまとめて報告してください」

「かしこまりました」

 

労働大臣が発言した。「犯人たちの生活様式とか職業に共通点はありますか」

甲は不意を突かれて慌てて癸巳と囁きかわした。