AD2145
歌舞伎役者が演じる四十八手の姿態がプリントされたハンカチをしまうと、「このウイルスは感染の広がりかたを見ると天然とはだいぶ違いますね。最近は遺伝子工学が発達してゲノム編集などの技術は日進月歩ですから、天然のウイルスに相当手を加えられているのではないかと推測しています」
「もとは蝙蝠のウイルスだと言われていますがね」
「そうかもしれません、しかし人間の手が加えられているとしか考えられない」
「たとえば」
「部長ははじめチョロチョロなかパッパというたとえをご存じですか」
徳川氏は妙なことを言い出した。
「いいえ、なんのことですか」と河野は目を細めて怪訝そうに問い返した。
「いや、これは失礼な質問をしました。若い部長が御存じのはずがない」と笑ったが、どう見ても徳川虎之介のほうが十五歳以上若そうだ。
「飯を炊くときのコツなんですがね、もっとも電気炊飯器ではありません。かまどで薪を炊くときです」
こいつは一体幾つなのだろうと河野は蝋人形のような相手ののっぺりした顔を見た。
「いや、これは失礼しました。ようするに初めの火加減はゆっくりと弱めにチョロチョロとして、途中から一気に火勢を強めるとおいしいご飯が炊けるということを分かり易くいったことわざでして、コロナウイルスの拡散の具合が似ていませんか。最初は感染しても子供や若者は発症しないと安心させて、その後変異種が続々と出てきて、重症化率もあがり、若者にも重症化するものが出てきたり、深刻な後遺症が出てくる」
「たしかにそういう経緯をたどっていますね。」
「これが意図的にウイルスに仕込まれたものだとしたらどうですか」
「たしかに天才バカボンいやバカ・ボンブみたいだ。変異種の出現のスピードも速すぎる。これも生物兵器として設計されたなら、理想的な展開ですね。相手は対応のしようがない」
部長が徳川のいったことを頭の中で吟味していると、彼はブリーフケースから書類を取り出した。
「これは企画書でして、当方の仮説と御社の協力をいただけた場合に実証実験を行う場合の概略が記してあります」
とA4用紙数枚を閉じた書類を部長のほうに滑らした。
「なるほど、、」と書類を手に取るとざっと目を通した河野は「お預かりします。社内で検討させていただきます。実施するとなると社内で稟議を取らなければなりません。しばらくご猶予をいただきます」と回答した。
来客を帰したあと、自席に戻った河野は企画課長を読んで面談の要旨を教えて徳川氏から預かった企画書を渡して検討するように命じた。
数日後企画課長が報告に来た。「よく出来ていますね。試してみる価値はあるでしょう。それほど出費もなさそうですし」
「そうか、それでは稟議を作成してくれたまえ」