穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

11:夢の傾向一変す

2021-01-16 19:50:46 | 小説みたいなもの

彼は寒さに震えながら駅前のバス停のベンチで目が覚めた。リュックサックが無くなっている。慌ててポケットを確認したところ財布は不思議なことに残っていた。彼はふらつく足で震えながら近くの交番に駆け込んだ。被害を訴えると新米らしい警官が用紙をとりだして、いろいろと細かいことを聞き出して記入している。時間のかかることおびただしい。

「そんなことより、そのバーへ踏み込んで捜査してくれというと、新米は困ったような顔をして奥の仕切りの後ろに入って指示を仰いだ。頼りないことおびただしい。やがて五十年配の男が防刃チョッキに片腕だけ通して寝ぼけ眼をこすりながら面倒くさそうな顔をして出てきた。

「どこのバーですか」と無愛想に聞いた。

わからないんだ、「なんていうバーです」。分からない。

老年の寝起きの警官はあきれたような表情をした。

勝が興奮して喚きたてるものだから、早朝の出勤者も交番の前に、何事ならんとたかりだした。年配の警官は面倒くさそうに、新米に「場所を確定してこいや」と命じた。

 新米と二人でくだんの悪徳バーを探索したが、昨日も道に迷った挙句にぶち当たった店であるから、いざやってみると勝にナビゲイト出来るわけもない。どこにもそんな店はない。30分もするとさすがの新米も怒こりだした。交番に戻ると調書を取られたが、勤務先はと聞かれて彼は咄嗟に役所に知られたらやばいことになるかもしれないと気が付いた。下手をするとデメリットが付く。財布は無事だし、デイパックは取られたのか、失くしたのか判然としない。なかには事務所から持ち出した書類は入っていなかったはずだと思うと、彼は被害届はいいや、と言い捨てて交番を飛び出した。

 勝はもともとあまり夢を夢を見るほうではない。消化の悪い脂っこい夕飯を食べた夜などたわいのない夢をみるが、起きたあとは覚えていない。ところが最近毎晩夢を見るようになった。それが馬鹿に鮮明なのである。キリスト紀元二千年だったころの古代の映画業界の惹句風に表現すると極彩色天然色なのである。立体的なのである。とにかく生々しい。目覚めてからもその記憶は消えない。

「素っ裸になるわよ」と白塗りの妖怪に惑わされてからである。どうもあの狭い地下のバーで飲まされたビールの中になにか盛られたのかもしれないな、と彼は疑った。

 したがって夢の中にあったことを現実のように取り違えることがある。ある時など、大月駅近くの繁華街にあるバーにもう一度行こうとしたことがある。しかし、いくら探してもそんな店はない。そのうちに、ああそれは夢に見たことだったと納得したのである。そんなことが続いたので彼は克明な日記をつけ始めた。それまでは小型のビジネス手帳に簡単なメモのようなものを書き込んでいただけであったが、今回は6号の大型大学ノートを買って日記と言うよりも時記を残すようになったのである。おまけにその横に証拠としてその日に受け取った商店や飲食店のレシートを残らず添付した。レシートには店名、所在地、発行時刻が印刷してある。行動確認には最適である。

 随時日記を紐解いて彼の表象が現実のものか、夢の中の物なのか確認しているのである。夢の中には極めて不快なものが多い。あとは何でこんな夢を見るのか現実の彼の生活と全然関係のない場面が出てくる。極楽のような夢はみない。もっとも一説によるとそのような夢をみるようになると死期が近づいている証拠だという人もいる。