穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

8:斥力エレベーター

2021-01-09 08:53:47 | 小説みたいなもの

 会議は全省庁の参加する分科会の設立と専門家の調査チームを立ち上げ、全力をあげて至急実情の把握を目標とすることを決議して終了した。

 地上にオフィスやねぐらのある参加者はハッチを通って斥力エレベーターに乗り込んだ。エレベーター操縦士は「全員着席してください。かばんや荷物はしっかりと抱えて下さい」とアナウンスした。ひとり力士上りのような肥大漢が座席に尻を押し込めず立っていると、「立っている人はレールにしっかりとつかまってください。カバンはしっかりと持っていてください」と注意した。

 彼はエレベーターのハッチを閉めると機体を止めていたフックを外した。エレベーターは宇宙船の下っ腹を離れて急速に落下を始めた。客席のシートベルトが乗客の腹に食い込む。高度千メートルに達すると操縦士は斥力レバーを思い切り前に押し倒した。機は官邸前庭にあるヘリポートの芝生の上にふんわりとソフトランディングした。

 首席補佐官助手の丙は官邸に入ると五階の自分のオフィスに入った。応接セットのソファには見るからに卑しそうなだらしのない服装をした先客がいた。

「よお、会議はどうだったい」

丙は顔をしかめた。覗き屋の庚戌(かのえいぬ)は大学時代の同級生である。卒業後十年ほど交流がなかったが、さるパーティでばったりと再会した。庚戌は卒業後、いくつかの業界紙を渡り歩いていたが、当時はさる実話雑誌の記者をしていた。

「俺に書かれるようなことをするなよ」と彼は丙に脅しめかして冗談を言ったのである。その後丙が役所で出世していくと、彼も取材に頻繁に来るようになった。

「今日の会議でなにか決まったかい」。どこかでさっきの会議のことを聞きこんだらしい。

「いや、定例の会議だよ」

「隠すなよ、今年になってから頻発している『通り魔事件』の対策会議だと聞いたぜ」

たしかに実話雑誌の取材網は広いらしい。

「まあな、相変わらず早耳だな」と丙は譲歩した。

「それで捜査状況はどうなっているんだい」

「全然進捗していないらしいな」

「甲が責任者じゃ、無理だろうな」と彼は見下したように言った。

「ところで、君の取材網の広さに信頼して聞くのだが、君のほうで何か情報は持っているのかい。事件や犯人について」と丙は反転に転じた。

「いや、今のところはなにもない」

「一つ調べてくれよ、役所が出来ないような取材情報も貴重だからな」

「そうだな、そうしよう。これは相対取引だぜ。君のほうでもなにか動きがあったら連絡してくれるな」

丙は無言であったが、表情で同意した旨を覗き屋に伝えた。

秘書がお茶を差し替えに入室した。庚戌は脂ののった彼女の旨そうな尻を撫でまわした。