AD22**
日本での感染者は二百万人をこえた。北国製薬研究開発部長の河野太郎の両親は相次いでコロナに感染した。二人とも重症化して現在エクモ5で治療を受けていた。彼はマウスによる実験を終わったばかりのCovit22αの新薬を持って始発のリニア新幹線で名古屋に向かった。新薬はマウスによる治験では好成績を収めていたものの人間に対する治験はまだ計画も出来ていなかったが、両親に投与することを決断した。
葵研究所のプランに基づいた研究は目覚ましい成果を上げてはいた。特に治療薬については次々と目標をクリアしていきつつある。ワクチンのほうは成果を確認するには時間がかかるが、治療薬のほうは動物実験では100パーセントの効果を確認していた。ニューヨークとデュッセルドルフの動物園でチンパンジーが罹患したというので、そちらのほうからの要請を受けて治療薬を送ったばかりであった。
普通新薬の開発は一応の見当はつけるものの、いろいろと試してみてどれがうまくいきそうだと進むものである。つまりトライアル アンド エラーの長い連続である。ところが葵研究所の計画書によるとそれが一本道なのである。すべて最初の計画で目標をヒットしている。普通はありえないことだ。河野は一体どうしてこんなに見事なプランを立てられるのか訝ったのである。まるで新薬開発の帰納法による長い道のりをあざ笑うかのように一本道なのである。最初から結論を知っているかのようだ。あるいは帰納ではなくて演繹法のみで正解を解いているようなのだ。
一体あの徳川虎之介というのはどういう人物なのだろうか、と契約書を交わすときにも違和感を覚えたのである。契約交渉で金銭的な交渉は全く行わず、すべて北陸製薬の提示した案を受け入れたのである。収益の分配では普通開発者と製薬会社の間ではかなりシビアなやり取りがあるものなのだが、徳川は北国製薬の出した、ある程度は交渉で譲歩する用意のある、つまり含みのあるというかネゴシアブルな通常よりかなり低い取り分にまったく文句をつけなかった。
葵研究所と言うのはどういう所なのだろう。北国製薬では契約前に確認はした。所在地は大宮市の町工場が立ち並ぶ一角にある建坪が四十平方メートルの三階建ての小さなビルであった。中は一応それらしき設備はあったが。ごくありきたりの設備であった。民間のベンチャー企業だし、ガレージ企業から目覚ましい発展をとげた企業はシリコンバレーにも多いことだし、それほどの違和感や不信感は抱かなかったのである。
両親が入院している病院は大病院で北国製薬の大得意先でもあり、新薬の投与についても事前に了解をとってあったので到着するとすぐに意識のない両親にそれぞれ投与して様子をみた。投与後30分後には効果が見えはじめ、三時間後には両親とも意識を回復したのである。
父は意識を回復すると息子の太郎の姿をみて「おうおう」と大きな声に出した。母親はしっかりとした目線でびっくりしたように彼を見つめていた。彼はほっとして息子に種痘を試したジェンナーもこんな気分だったのかな、と思った。