穴村久の書評ブログ

漫才哲学師(非国家資格)による小説と哲学書の書評ならびに試小説。新連載「失われし時を求めて」

9:人口庁

2021-01-11 08:40:39 | 小説みたいなもの

 退庁した勝五郎(カツ・ゴロウ)は霞ケ浦の第一号合同庁舎の屋上から予約した迎車ヘリタクシーに乗り込んだ。サングラスをかけた人相の悪い運ちゃんに「八王子にやってくれ」と命じると横の座席にどさりとこげ茶色のデイパックを放り出した。彼は内閣府直属の人口調節庁統計課の主任である。

 人口調節庁はGHQの最重要官庁である。官庁としては最重要の部署である。古代シナの格言に治水は政権維持のかなめである、というのがある。星人の格言では治・人口が、すなわち人口調節が最高の政策課題なのである。正調マルサス流の考え方である。すべての経済活動がうまく機能するかどうかは、生産能力と需要量がバランスしていることである。この比重がどちらかに傾いても政権運営は不安定になる。マルクスの亡霊が這い出してきかねない。

 統計データからこのバランスが崩れそうに予測されると、人口庁は経済産業省に指導を行う。その方向は予測データに基づき、投資の拡大であり生産の増強である場合もあり、投資の抑制であったり、減産である。一方、厚生省には人口の抑制か増加を要請する。供給側の調整は古代の、つまりキリスト紀元21世紀でもありふれた政策であった。人口の調整も政策課題であったが、人為的に大幅で急速な、つまり実効性のある調整は不可能に近かった。しかし、星人治下ではその当時に比較すると相当迅速に、効率的に対応できるようになっている。二千年も安定した統治が続いているのもまったく人口調節の効果である。

 GHQは基本的に従来の地球人の統治方法を踏襲したが、この問題については革命的な変更を行った。すなわち一回一匹いや間違えた、人口を増やすときには一人ずつ膣口からひりだすのではなくて一つの受精卵を繰り返し分裂させて最高1024人の胎児を生み出す一卵性多胎児生産技術を彼らはすでに持っていたのである。その反対に人口が過剰になるときは受精卵を作らない、あるいは一切孵化させない。そのためにはすべての受精卵のコントロールが必須となる。

 そのために、彼らは家庭での出産すなわち膣からの出産を禁止した。膣口出産は国家転覆罪や殺人とおなじ重罪となった。しかし性欲は禁止しなかった。そんなことをすれば若者が反乱をおこす。

 かれらは乱交は積極的に推奨したが、家庭内出産は禁止したのである。このような状態が千年ほど続いたが、家庭制度を存続させていては効率的な運用ができないので、家庭制度を禁止した。おそらくこれが彼らがもっともラディカルに人間に加えた政策である。

 いまでは健康な若者から強制的に精子と卵子の提供を義務付けて、冷凍保存し、統計庁の決定に基づき、適宜受精卵の分裂回数を調節して、人口の増減を調節している。また、人間の成長を早める技術も保有していて、肉体労働可能年齢を最短で十歳に短縮可能である。また精神労働可能年齢を十五歳まで引き下げることができるのである。

 西に向かうヘリタクシーに殺人的な西日が襲いかかった。地下に引きずりこまれようとしている太陽が最後の抵抗をしているような強烈な殺人光が地平線の下から突き上げてくる。勝はサングラスを携行していなかったので、まともに沈みゆく西日の照射を目に浴び続けた。下方には一千年前に渤海国の核ミサイル攻撃で破壊されて半永久的に放棄された旧東京市街の無人の廃墟が静まり返っている。