覗き屋すなわちノンフィクション・ライターにして実話雑誌記者の庚戌は巡礼のように役所や企業に押しかけてネタを漁るだけではない。図書館で調べ物をすることもある。最近の『通り魔事件』はどう考えても現代すなわち星人支配下の現代の犯罪ではない。古代的な色合いがする。あるいはが逆に超未来的なのかもしれないが。そこで巷では見かけることのなくなった古代の犯罪の記録を探したが、そんな情報は書籍はもちろんインターネットにもない。もしやと思って国立中央図書館に来たのである。
狐めがねを鼻の中ほどに載せたおばさんの司書に相談すると「そんな古代の記録はあるかしら」と電算機のキーボードをしばらく引っ叩いていたが、「マイクロフィルムだけど当時の新聞があるわね、通り魔事件とかいう見出しよ」と教えてくれた。
「いつ頃の新聞ですか」
「AD1947年ね」
「ふーん、二千年前か」
「彼女はマイクロフィルムのビューアーがあるところを教えてくれた。
慣れない機械でうまく操作できない。ようやく該当の記事を見つけたときには目がかすんできた。
ヒロポンという薬物が流行っていたらしい。その中毒者が起こした犯罪と言うのが報道されているが、理由もなく往来で人に襲い掛かる事件が多かったようである。橋の上で乳母車(ベービーカーと言わないと分からないかな)に乗せた赤ん坊をいきなり川に投げ込んだなんて事件が数件紹介されていた。
ヒロポンってなんじゃらほい、と思ったらその紹介が記事の下にあった。もともとは軍隊で開発されたものらしい。航空機搭乗員とか潜水艦乗組員など極度のストレスのなかで勤務する兵士の緊張を維持し、睡眠をとらなくても長時間過酷な任務に耐えられるように開発された薬剤らしい。興奮剤の一種で大戦末期には出撃する特攻隊搭乗員にも投与したという。終戦時軍は大量に在庫を抱えていたが、それが市中に流れ出したという。また、民間の製薬会社でも民需用に戦後売り出した。なにしろ町の薬局で簡単に購入できたという。疲労回復とか眠気予防などの効能をうたったという。しかし、中毒性が強く、すぐに依存性になるので発売が禁止されたとある。
覗き屋の身軽さである。彼は木戸御免の厚生省広報室に現れた。
「ヒロポンってどんな薬ですか」と聞かれて係長の三島は「なんだい、それは」とぞんざいな口を聞いた。マスコミを相手に丁寧な言葉を使うと相手は逆に居丈高になって突っ込んでくる。ぶっきらぼうにまず突き放すのがいいと三島は先輩から教わった。相手は情報が欲しいという弱みから、下手に出てくる。
「なんでも旧日本軍が兵士に与えていた興奮剤のようなものらしいんですがね」
「日本軍って」
「大日本帝国陸海軍ですよ」
「そんな昔の話を知るものか」
そんなやり取りを隣で聞いていた若い課員が「そういう薬は今でも有りそうだな。アメリカの特殊部隊なんかは作戦前に与えられそうだ」
「そうだな、薬品名は違うだろうが、類似のものはあるだろうな」
「日本ではありませんか」
「あるさ、精神科医が使いそうな薬だな」
「市販はされていない?」
「あたりまえだ。しかし医師と言うのはモラルがないからな。市中に横流しする医者はいるだろう。暴力団相手なんかにな」
「そういう可能性があったとすると、どうして今年になってから昔のヒロポン中毒者の犯罪に類似した犯罪が発生し始めたのかな」と庚戌はしたり顔に首をかしげた。
そういう覗き屋を見て三島はもう相手にしなくなった。手元に広げていた書類を覗き屋から隠すように手で覆って読み始めた。