合同庁舎55階の食堂はほぼ満員だった。カウンターには長い列が出来ていた。勝は列の最後尾に並んだ。前に並んでいたのは同期の岸なのに気が付いた。彼は国防省動員課で働いている。列は亀みたいに少しづつ進んでいく。
「忙しいのかい」と後ろから声をかけた。
岸は「うん、今中期計画の作成中でね」
「どんなところが問題なんだい」
「どうも情勢が流動的でね。特に北方、西方の蛮族の動きが不穏だ」
「ふーん」
「それでね、場合によっては君のところにも相談に行くかもしれない」
「てえっと、なにか兵員が不足するのか」動員課の岸が人口調節庁と打ち合わせをしたいというのだから、そんなことかな、と思って聞いた。
「そうなんだ、兵器の調達は問題がないんだがね。兵員となるといろいろ難しい。すべてロボットに頼り切るわけにはいかない」
「それはそうだろうな」
「中期計画と言うと、どのくらい先なんだ」
「ま、五年から十年だな。どうも今の体制だと兵員不足が深刻なんだよ」
「ぎりぎりだな。むずかしいかな」
「一応備えておかないとね。計画がまとまったらお願いに行くかもしれないよ」
彼らの順番がきた。岸はナポリタンにコーヒーを選んだ。勝は天津丼とオレンジジュースを取った。食堂の席は満席だった。2人はトレイを持ってきょろきょろと空席を探しながら中にはいった。後ろから「おい、勝」と野太い声がかかった。振り向くと厚生省薬物課の田村だった。なるほど彼のそばに空席がある。二人は隣に落ち着いた。彼はカツカレーを食べていた。
「久しぶりだな」
「お互いに忙しいからな。そのうちに飲みに行くか」かれもまた同期なのである。そのテーブルは北側の大きな窓に面していた。勝が向こうを眺めると筑波山が黒々と雲の上に浮かんでいる。昨夜は関東に強風が吹き荒れて朝の湿度は20パーセントしかなかった。こういう日には雲一つない空の下に筑波がくっきりと見える。勝は急になんだか気持ちが悪くなって顔をしかめて腹のあたりを抑えた。その様子を見ていた岸は「どうした。調子が悪いのか。少し痩せたな」と改めて不思議そうな顔をして彼をしげしげと見つめた。
「いや、なんでもない」というと視線を窓の外からテーブルの上に移した。やがて不快感は薄くなっていった。
「働きすぎじゃないか。人口庁は人使いが荒いからな」
そういえば、今朝洗面所で髭をそっていた時のことを彼は思い出した。朝食の時にセックス・パートナーの裕子が「あなたの顔がおかしいわね」と言った。彼は改めてしげしげと鏡を見たが目が少し血走っているくらいで特に変化は分からなかった。
「最近すこし働きすぎじゃないの」
GHQ勧告で労働時間は週二十時間となっているが、勝の最近の勤務時間は週に三十五時間をこえている。もっとも彼女のほうでも彼に対して飽きがきているのかもしれない。三か月も続いたのは彼にしても珍しい。GHQもあまり長い間特定のセックス・パートナー関係が続くのは歓迎していない。そろそろ分かれる潮時かもしれない。
勝は回想から岸の声に呼び返された。
「例の通り魔事件は一向に収まる気配がないな。GHQでもこの間会議を開いたというじゃないか。どうなっているんだ。君も会議に出ていたんだろう」
「ああ、結論なんてまだ出ていない。とにかく現状を多面的に分析把握して調査を継続しようということになった」
田村が割り込んだ。「その件だけどね、我々のところにも照会があったよ」二人は彼を見た。
「なんでも、薬物関係から調べろということでね。一つはアヘンの耐性についてというのと、なにか刺激性のドラッグがひそかに街に出回っている形跡はないか、調べろとさ」
「刺激性のドラッグというと?」
「アヘンはどちらかと言うと、うっとり方だろう、言い方は変だが、何もしなくてうっとりとして非活動的になる。それが恍惚状態なんだが、一方で刺激性と言うか、向精神作用をもたらす薬物があるんだ。やたらと活動的になるというか、攻撃的になる。無鉄砲になる。ようするにハイになるわけだ。若年層には本来的にアヘンは向かないんだよ」
「アヘンは人工的に涅槃状態になるわけか」
「まあ、そうもいえるな」