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観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



クラマーさんを訪ねる旅(8)

ミュンヘン空港から、途中、巨大なアリアンツ・アリーナを一瞬横目に、約2時間半。ドイツとオーストリアの国境近くにある、保養地ライト・イム・ウィンクルに到着した。

さすがに朝から、スポルトシューレ、ボーフムとびっちり見学し、移動した後だったので、かなり疲れていたが、ぼくらが泊まるホテルに来てくれたクラマーさんの姿を見て、その疲れは吹っ飛んでしまった。

ぼくらの遅い食事につきあって、一緒にテーブルに着いたクラマーさんは、中条さんや牛木さんと思い出話するうちに、立ち上がって身振り手振りをそえて熱く語るようになっていったのだった。



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クラマーさんを訪ねる旅(7)

スタジアムをひととおり見た後、隣接するビルの3階にあるVIPラウンジを見せてもらった。1985年に増築された建物は別棟のように見えたが、3階にあるVIPルームは、スタンドの最上段とつながっていた。そこに入ると、見たこともない光景があった。

広いラウンジには、そこにあるテーブルいっぱいに、ポスター、ユニフォーム、ボールが数え切れないほど並んでいた。そして、何人かの選手らしき若者が、ポスターやユニフォームにサインをしていた。ファンサービスに使うために、チーム全員のサインを書き入れているのだ。練習を終えた選手たちが、三々五々入ってきて、サインを書き出す。どれだけの時間がかかるのかわからない。選手によっては「練習より、きつい」とジョークをいう者もいたり。週に一回のお勤めらしい。

グルーバーさんによれば、ファンをつなぎとめるためのサービスとして、いろいろ工夫しているなかのひとつらしい。ブンデスリーガのチャンピオンなど望むべくもない中堅クラブにとっては、特に地元ファンを大事にすることが重要だと言っていた。これは、日本でも同じだろう。

そのことを理解しているのか、いないのかはわからないが、選手たちは、嫌な顔も見せずに、通りすがりの僕らにあいさつをしながら、自分のサインを書き続けていた。


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クラマーさんを訪ねる旅(6)

スポーツシューレを駆け足で見学した後、デュイスブルクから約50km離れたボーフムに移動した。小野伸二が所属するVflボーフムのクラブを見学するためだ。

午前11頃、スタジアムの横にある練習場に行くと、すでに練習は後半にさしかかっており、シュート練習と10対10でのフォーメーションの確認をしていた。この日は、試合の2日前なので、午前の1回練習のみ。小野を探したが、その姿はなかった。風邪をひいて、前日から練習を休んでいるそうだ。

彼の雄姿を見たいところだったが、まぁ仕方がない。小野に会えなかったことは、その後のサプライズと比べれば、些細なことになる。

しばらく練習を見学したの後、若い広報担当のクリスチャン・グルーバーさん(写真中央)がスタジアムを案内してくれた。彼は「日産スタジアムのような素晴らしいスタジアムではないが……」とことわりながら、1979年に建てられた、35000人収容の本拠地の中に、ぼくらを招き入れた。

確かに、ロッカールームやインタビュールームはかなり手狭に見えた。しかし、その一方で、OBや関係者が集まれるレストランがあり、そこには栄光に輝いた時のユニフォームが展示してある。OBのために、こんな雰囲気のあるスペースがしつらえてあるところが日本と違うところだろう。

ピッチレベルにもおろしていただき、芝生の状態やベンチなども見せてもらった。ふだんならピッチ内に入ることは禁止だが、特別に記念写真を撮らせてくれた。

クラブの基盤づくりのために、OBやゲストを大切にする姿勢がいろいろなところで感じられた。そして、もちろんサポーターのためのサービスも一生懸命やっているのだが、それについては、次の記事で。



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クラマーさんを訪ねる旅(5)

8月28日、スポーツシューレの2日目。朝食のあと、デュイスブルク・スポーツシューレを管轄するニーダーライン・サッカー協会のライナー・レーマン事務局長(写真)に話を聞いた。さらに、施設も案内してもらった。これも、クラマーさんが手配してくれたおかげである。

レーマンさんは、1981年から、このシューレに勤務している。彼がここに来る前の古いことも含めて、元新聞記者ら、ぼくらの質問に対して、真摯な態度で答えてくれた。そこには、クラマーさんの影響力もあるだろうし、欧州で最大の施設をもっていることへの矜持もあるだろう。

芝生のサッカー場が6面、人工芝の小ぶりなフィールドが2面のほか、体育館、柔道場など、25の競技ができ、合宿所としては350人が泊まれ、年間約60000人が利用しているそうだ。隣接して、地元デュイスブルクのクラブの本拠地となる3万人以上を収容する立派なスタジアムやプール、テニスコート、陸上競技場などがあり、シューレを含めて、大きなスポーツパークとなっている。

施設を案内してもらうなかで、1960年に日本代表の選手たちが、初めてペンデル(ヘディングの練習用に天井からひもで吊るしたボール)を見て、トライした体育館も見せてもらった。確かに天井付近からボールを吊るすための梁が出ていた。ただ、中条さんの記憶によれば、ぶら下がったボールをヘディングすると、勢いよく天井にぶち当たったとあるが、本当に届いたのだろうか。

何の変哲もない、かなりガタのきている体育館を見て、感慨にふけっている日本人たちを見て、レーマンさんは何を思ったのだろうか?


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クラマーさんを訪ねる旅(4)

デュイスブルクのスポーツシューレに到着した日に、みんなが驚いたことがあった。シューレの宿泊棟の入口に、クラマーさんの功績をたたえる看板が、顔写真入りで立てられていたのだ(写真)。

まるで、ぼくらが「クラマーさんを訪ねる旅」で、、ここデュイスブルクを訪問することがわかっていたのかのように…。なんか、クラマーさんが出迎えてくれているようでもあった。

その看板の中身は、「ドイツサッカーのルーツ」というタイトルで、“Trainerlegende”(おそらく「伝説的な指導者」という意味か?)として、デットマール・クラマーさんを含む何人かを紹介していた。

ドイツに来て、スポーツシューレに来て、早速、クラマーさんの偉大さに触れたような気がした。


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