sports-freak.blog
観客席で思ったこと ~200文字限定のスポーツコラム~
 



クラマーさんを訪ねる旅(15)


クラマーさんへの感謝のパーティを終え、ホテルに戻った後、ちょっと飲み足りない仲間で街中に出かけた。

夕方、サッカーの試合を見たサッカー場の近くに、町の集会場のような建物があったので、ちょっとのぞいて見る。すると、中はビヤホールのようになっていて、民族衣装を着飾った老若男女が生演奏をBGMに踊っている。この日は、町のお祭りのようだった。

そのホールは地元の人たちでいっぱいだったため、隣部屋のレストランで飲むことにしたのだが、そこで、FCライト・イム・ウィンクルの監督(写真)に出くわした。当然、ビールに誘う。

聞けば、今、ちょうど60歳で、年金生活をしながらボランティアで監督をしているとのこと。この日の試合は、0対1で負けてしまったが、昨シーズン、9部だったチームを8部に昇格させた優秀な監督だと言っていた。

また、クラマーさんと同じように、「おれたちのサッカー場はドイツで一番素晴らしい。もちろん、サッカー場から見える風景のことだが」とも。

そして、最後にこんなことも言っていた。「人生は楽しむことが大事なんだ。おれにとっての楽しみは、うまいものを飲み食べること、女、そしてサッカーだ」



コメント ( 0 ) | Trackback (  )




クラマーさんを訪ねる旅(14)


今回の旅の目的である「クラマーさんへの感謝のパーティ」は、クラマーさんの友人が経営する“BERGGASTHOF JEDERER REIT IM WINKLE”という、近くの山の中腹にあるホテル兼レストランでおこなわれた。

まだ、明るいうちに、チロルの山々を望みながら、おいしいラム肉のステーキとビールでおなかを満たす。その後、テラスから室内に場を移して、ドイツのシャンパンを飲みながら、中条さん、クラマーさんの思い出話を聞いた。

クラマーさんの話す内容は、中条さんが書かれた「デットマール・クラマー 日本サッカー改革論」(ベースボール・マガジン社)に盛り込まれていることが多かったが、改めてご本人から聞くことで、ずしりと心に響くものがあった。途中、中条さん、クラマーさんの目には涙が浮かんでいた。そこには、半世紀におよぶ長い時間をかけて培われた重さがあった。

クラマーさんと奥様への、そして中条さんへのプレゼントをお贈りして、静かなパーティは終わりとなった。最後に、まだクラマーさんのことを書き足りていない中条さんは、来年もまた取材に来ることを約束していた。



コメント ( 0 ) | Trackback (  )




クラマーさんを訪ねる旅(13)

FCライト・イム・ウィンクル対SVエリスタット
2008/8/30 町のサッカー場


クラマーさんのサイン会のあと、地元のFCライト・イム・ウィンクルの試合観戦に行く。

場所は、ホテルから歩いて5分ほどのサッカー場である。サッカー場といっても、特にスタンドがあるわけではなく、野原にゴールが置いてあり、片側のタッチライン沿いに広告看板が立っているだけである。しかし、ピッチの芝生は素晴らしかった。デュイスブルクやミュンヘンのスポルト・シューレのサッカー場にもひけをとらない見事な芝生だった。さらに、クラマーさんが言う。「ここは、ドイツで一番美しいスタジアムだ。背景のチロルの山々は、どこのスタジアムにもないものだ」

試合は、地元のFCライト・イム・ウィンクルとSVエリスタットの対戦だった。ブンデスリーガの1部から数えて、8部に相当する正式なリーグ戦である。地域リーグの形をとっていて、近郊の14チームがホーム&アウエーの総当たり戦を行って成績を決める。選手はみなアマチュアで、ライト・イム・ウィンクルの場合は、週に3度、仕事を終えた後、みっちり練習をするということだった。

のんびりと町の人々が観戦するなか、8部とはいえ、ドイツ・サッカーの片鱗を感じさせる試合が始まった。スピードにのった突破を、体をはってくいとめる。ただし、前半の途中で、かなり足は止まってしまったが……。

この試合、ラインズマンは、双方のチームから出すことになっているようだった。しかし、フラッグを渡された控えの選手は、自軍のベンチの脇に立ったままの位置で試合を見て、ときどきオフサイドを示すフラッグをあげるいい加減さだった。しかし、誰も文句は言わず、若い主審は広い範囲を動きまわり、試合をコントロールしている。日本なら考えられない光景だろう。

また、試合が始まると、若者2人組が観戦料として募金を集めに回って来た。ぼくたち、日本人に対しては要求はしてこなかったが、仲間が数ユーロ寄付しておいた。こんなクラブ運営もあるわけだ。

クラブのメインスポンサーは地元のスポーツ店。看板には19社の広告があった。ビールのレーベンブロイといった大企業から、おそらくは地元の商店などまで。ちなみに、珍しいので、地元チームのユニフォームを買いたいと言ったら、「そんなものは、ない」ということだった。

前半が0対0で終わったところで、ぼくらはクラマーさんとの夕食の会のために、ドイツで一番美しいサッカー場を後にした。



コメント ( 0 ) | Trackback (  )




2010年W杯アジア最終予選
日本 3対2 バーレーン
2008/9/7 NHK-BS1

得点こそなかったもののフォワードの田中(達)、玉田が攻守に光っていた。前線からしつこく守備をし、ボールをもったときには果敢に突破を試みる。その結果、俊輔の先制点を生んだフリーキックを得た。

高さがないことが弱点かもしれないが、平面的な速さを駆使して、反則を奪い、フリーキック(セットプレー)から得点を狙う。今後の日本の攻撃の有効なパターンになるだろう。

しかし、田中(達)や玉田のチェイシングに破綻が生じると、とたんにピンチの連続になることもわかった。

後半、日本が選手交代した後のこと。前線でボールを追いかけていた田中(達)が、自分の動きに、中盤が連動していないことに、「えっ!?」という顔を見せたシーンがあった。自分が追い込んだ次を、中盤の(日本)選手が狙っているだろうと思っていたに違いない。しかし、そこには誰も詰めていなかった。

そんなシーンの後に、いとも簡単に、日本は2点を奪われた(1点はオウンゴールだが)。

今の日本の力をもってすれば、アジアで勝ち抜くことは難しいことではない。しかし、それには、ピッチに出ている11人がさぼらずに、ひとつにまとまっていることが最低条件になる。



コメント ( 0 ) | Trackback (  )