ヨーロッパでは2018年に公開された作品で、
インドでは今年3月公開予定がコロナの影響で今となった。
タイトルは「愛は充分ですか?サール」。
邦題は「あなたの名前を呼べたなら」。
インドは身分社会なので自分より身分が上の男性をサール(サー)
女性をマダムと呼ぶ。なので私もマダムと呼ばれる事がある。
インドならではであるが・・・
裕福な青年とお手伝いさんの恋愛がテーマである。
インドにはカーストがあるためカーストを超えた恋愛は、
まず不可能と言ってよいし、基本的に主人とお手伝いさんが
対等な関係になる事はありえない。
なので公開前から注目していた公開を待っていたら、
延期となってしまい残念だったのだった。
コロナの影響で映画館はずっとクローズで、
先週から上映再開になってはいたが正直、不安はあった。
お手伝いさんと言えばこの人、ティロッタマ・ソーム。
「モンスーン・ウエディング」でもお手伝いさんを演じ、
こんな事を言っては何だがピッタリであった。
同じ映画に出演していたラフル・ヴォーラが主人公の父親役。
この映画はインドとフランスの合作となっており、
彼がフランスと強い結びつきがあるからだろう。
全体的にアシュウィンとラトナの二人芝居的な感じで、
周りの人々は終始背景的な登場の仕方で、
二人の関係に大きな影響を与える事はなかった。
なので二人の感情の動きに注目して観る事と、
インドの一般的な社会観が理解できれば良いかと思う。
監督のロヘナ・ゲラがインドの階級問題を追及するために制作し、
2006年のテルグ語映画の「ワナジャ」と同じく、
インドの問題点を世界に発信した作品だと思えば良いと思う。
1時間40分と言うインド映画にしてはかなり短いが、
ちゃんと途中で休憩が入ったわ。
<ストーリー>
出身地の村に帰っていたラトナ(ティロッタマ・ソーム)が、
電話でムンバイに呼び戻されるシーンから始まる。
住み込みのメイドとして雇われていた主人アシュウィン
(ヴィヴェク・ゴンベル)が戻って来ると言う。
アシュウィンは結婚するためアメリカへ行ったのだが、
婚約者の浮気が発覚し破談になったため帰国したのだった。
アシュウィンの父親(ラフル・ヴォーラ)は建設会社の社長である。
傷心してふさぎがちなアシュウィンにラトナは、
自分は結婚4カ月で夫が病死したため19歳で未亡人になり、
人生が終わってしまったが、妹の学費を稼ぐために
ムンバイに出稼ぎに来ている話をして元気づける。
ラトナは同じマンションのメイド仲間と屋上で話をしたり、
一緒に買い物に行く事が楽しみだった。
ラトナには服飾デザイナーになると言う夢があり、
仕事の合間に服飾の勉強をするためにアシュウィンに許可を得る。
アシュウィンの誕生日にラトナは自分がデザインしたシャツを贈る。
アシュウィンはラトナが自分の夢に向かって前進している姿を見て、
勇気づけられると共に精神的な支えとなっている事に気づく。
アシュウィンはラトナにミシンをプレゼントする。
アシュウィンはラトナを対等に見ていたため、
ラトナがアシュウィンの実家のパーティーに駆り出された時、
仕事が終わるのを待とうかと言い、他の使用人達に驚かれる。
ラトナはアシュウィンに自分はあくまでも使用人である事を伝える。
ガネーシャ祭りの日、いつもと違って踊るラトナを見て、
アシュウィンは自分の感情を抑えきれなくなり、
部屋に戻った際に気持ちを伝えキスをする。
ラトナもアシュウィンの気持ちは嬉しいが身分が違う為、
家族や友人達には決して受け入れてもらえない事を伝える。
サールではなく名前で呼んでくれと言うアシュウィンに、
ラトナはあくまでもサールと呼ぶ。
アシュウィンは親友にラトナへの気持ちを打ち明けるが、
身分の違いと言う理由で答えは同じだった。
ラトナは結婚してムンバイに出て来た妹の家に同居する事にして、
メイドを辞めてアシュウィンの家を出る。
アシュウィンは自分の気持ちに決着をつけるため、
父親にアメリカに戻りたいと伝える。
ラトナはある服飾会社に就職が決まるが、
そこの社長はアシュウィンの友人だった。
ラトナはアシュウィンにお礼を言う為に家に行くが、
アシュウィンはアメリカに行ってしまっていた。
屋上に行くラトナにアシュウィンから電話がかかって来る。
ラトナは初めてサールをアシュウィンと呼んだ。
アシュヴィンはラトナに「サンキュー」や「ソーリー」を、
普段から言っていたので、家庭でそう習ったのか、
それとも自分で学んだのか? 普通のインド人家庭では、
やってもらって当然であるので、そういう事は言わないはずだ。
主人とメイドの立場の違いがお互いの距離であったり、
会話に良く表れていた。メイドは基本的に言われた事に対する、
返事のイエスのみであり、余計な事は言わないものだ。
自分から話しかけるのは恐れ多い事だから。
ラトナが街のブティックへ服を見に立ち寄った時、
店員が明らかに不快な表情をして追い出したのだが、
大げさな表現ではなく、それがインドの現状である。
服装や顔、身のこなしをみれば立場が解ってしまう。
幸い私は外国人なので身分不相応なホテルやブティックに
行っても追い出される事はないが・・・。
狭い質素なメイド部屋がキッチンの奥にあったが、
極端ではなくだいたいがあんな感じである。
ある家では夜中にゴミ箱を倒しただけで使用人を呼びつける。
そのくらい自分でやれば・・・は彼らには通じない。
そういう価値観であり常識なのである。
結果として綺麗に終わった。これが両親を巻き込んで、
ぐちゃぐちゃになったら悲劇であったが、お互いの立場を
理解して、自分の気持ちにケリをつけた、大人であった。
ほっとした気持ちと、もっと周りの人達にも考えさせれば、
良かったかもしれない、と言う気持ちが交差した。