大河ドラマ「おんな城主 直虎」の10月22日の放送では、万千代(のちの直政)が小姓に取り立てられ数々の働きの様子が放送されました。
そのドラマの放送終了後に紹介される「直虎紀行」では、今回は大井川の西にある島田市の諏訪原城跡が紹介されました。
この春、諏訪原城跡を訪れ、見学と少々カメラに収めてきましたのでこの機会に諏訪原城跡をご紹介します。
( 諏訪原城跡は牧の原台地の北端の茶畑の向こうに見ました。)
諏訪原城は、天正元年(1573)、武田勝頼が部下に命じ築城。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城の名がついたといわれています。
諏訪原城は、駿河から遠江に入る要衝の地にあって、高天神城(掛川市)攻略のための陣城としての役割を担いました。
( かなり広い場所で、奥へ進むに連れ案内板とともに曲輪(くるわ)や堀が見えてきます。
堀とその向こうに二の曲輪中馬出跡が見えます。
(外堀りに近づいてみました。)
(二の曲輪と外堀の一部)
( 二の曲輪の(林の)向こう(東側)に本曲輪があったとされています。(ここに城(本丸)があったと思われます)
天正3年(1575年)に家康によって攻め落とされ「牧野城」と改名。天正9年に高天神城が落城し、翌年、武田氏が滅亡しこの城の必要性がなくなりました。その後家康が関東に移ったことから、天正18(1590)年頃廃城になったとのことです。
現在建物はありませんが、丸馬出が良好な形として残っていることから戦国時代の過程を理解する上で重要な遺跡として国の史跡に指定されています。
以上城跡を回ってみました。推定の復元図(パンフレットより)がありましたので、帰宅後比べてみました。
(諏訪原城の推定復元図です(パンフレットより)。)
※ 城の用語
◎曲輪(くるわ) =土塁や柵・堀などで囲まれた平坦な区域のこと。尾根や斜面などを造成して作ることもある。
◎丸馬出(まるうまだし) =武田流築城術の特徴で、虎口の前に設けられた三日月堀と平坦地がセットになった空間。防御するだけでなく、味方が出撃する場合の拠点にもなる。
(共にパンフレットより)
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