大河ドラマ「おんな城主 直虎」の10月8日の放送では、幼少の虎松がひきとられた松下家や万千代と名を改めた虎松の草履番などが放送されました。その終盤に放送される「直虎紀行」では、今回は頭陀寺と松下屋敷跡や、群馬県高崎市の直政が居城した箕輪城跡などが紹介されました。
箕輪城等の資料はありませんが松下屋敷跡と頭陀寺は先に訪問しておりますのでそちらををご紹介します。
頭陀寺(ずだじ)は、JR浜松駅から東南東に約2~3kmほど行った現在、浜松市南区頭陀寺町に位置します。
(頭陀寺の本堂と境内の風景)
頭陀寺は、戦国の時代には多くの塔頭寺院を抱える大きな寺で、境内の一角に戦国武将の松下之網の屋敷がありこの一帯を松下屋敷〔別名頭陀寺城〕と呼ばれたとのことです。
門前には頭陀寺城跡の説明看板や、浜松市内で最も古い道標とその説明板が置かれていました。道標は「頭陀寺薬師道」との表記で1711年建立とのことです。
浜松市は2001年と2015年に松下屋敷跡の調査を行い、伝承通り、戦国時代の屋敷が地中に埋められたとのことです。
頭陀寺本堂の北側には、子供時代の虎松や、松下家に3年間奉公したとある秀吉公の像並びに、浜松市雄踏町の中村家から時々馬でここまで遊びに来たとされる家康公の幼いころの像が3人並んで建立されていました。
(三人の像〈下段に拡大図〉と頭陀寺の資料館)
( 秀吉 : 家康 : 万千代 )
頭陀寺の門から数百m南には現在公園となっている、「松下屋敷跡の石柱」〈頭陀寺城跡)が建っています。松下家の屋敷は100m四方の広い土地でありましたが、今は、広い道路やカッパ寿司の敷地などになっています。
頭陀寺公園とその一角に松下屋敷跡の碑が立っていました。
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