教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

9月7日 もう一度MBS前に集まろう 参加者:小出裕章 石井彰 今西憲之 湯浅誠(すきすきたねまきの会)

2012年09月05日 15時43分45秒 | ブログ
2012年9月3日

2012年9月7日に、すきすきたねまきの会が、もう一度、大阪ちゃやまちのMBS毎日放送前に集まろうと呼びかけています。小出さんも参加するとのことです。

▼9月7日(金)19時、MBS前にもう一度集まろう

http://www.tanemakifan.net/%E8%B3%9B%E5%90%8C%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%96%B9%E3%80%85/

=====
9月7日(金)19時、あたらめてMBSにお願いにうかがいたいと思います(打診中)。

可能な方は、19時にMBS前にお集まりください。

またMBSとの意見交換の後、20時より呼びかけ人らによる報告を行いますので、19時には間に合わないという方もお越しいただければと思います。

■参加者(8月31日現在)

小出裕章(呼びかけ人)
石井彰(呼びかけ人)
今西憲之(呼びかけ人)
湯浅誠(事務局)

■日時 2012年9月7日(金)19:00~(予定)

■場所 MBS毎日放送本社前
=====

寄付金もまだ集めています。

▼寄付のお願い

http://www.tanemakifan.net/%E5%AF%84%E4%BB%98%E3%81%AE%E3%81%8A%E9%A1%98%E3%81%84/

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人気投票より政策が大事。山内康一『蟷螂の斧』

2012年09月05日 15時28分56秒 | 国際・政治

このところ民主・自民の二大政党の党首選が報道され、
「選挙の顔として誰がいいか」とか、
「世論調査の支持率が高いのは誰か」とか、
「派閥の領袖が誰を支持するか」とか、
「〇〇は若手議員の人望がない」とか、
政策とは無関係のポイントが多く語られています。

本来の党首選挙は「何をやるか」こそ重視すべきです。
特に民主党の党首は次の首相であり、自民党の党首は、
次の次の首相になる可能性の高い政治家です。

「日本をどういう国にしたいのか」という点よりも、
世論の支持が高いか低いかが話題になるのは変です。

党首に立候補する人が、どんな政策を実現したいのか、
何のために政治家を目指したのか、を問うべきです。

私が新首相にやってほしいと思う政策を考えてみました。
いろんなことを期待したいですが、5本柱に絞りました。
こんな感じです;

【政権構想の5大目標】
(1)政府と市民社会、市場の新しい関係
  ⇒市民や企業も参加して“公(おおやけ)”を担う社会
  ⇒大きな政府ではなく、大きな市民社会を目指す
  ⇒適度な規制(過剰ではなく、かつ、環境や安全に配慮)
  ⇒民間がより良くできることは民間に任せる
  ⇒地方自治体にできることは中央政府はやらない(地方分権)
  ⇒行政はサービス供給者から環境整備者へ

(2)子どもの貧困の撲滅と未来への投資(教育と科学技術)
  ⇒所得格差を教育格差につなげない教育制度づくり
  ⇒子どもの貧困をなくす制度(低所得家庭を狙い撃ち)
  ⇒基礎研究は政府。応用研究は民間(減税措置等で支援)

(3)人間活動と自然環境のバランス(脱原発、農林水産業)
  ⇒省エネと再生可能エネルギーの拡大普及
  ⇒環境と調和した農林水産業、工業、都市計画
  ⇒環境税の拡大強化(増収分で法人税減税や省エネ投資)

(4)自由で開かれた国際秩序、世界の平和と安定、人類の生存
  ⇒法と秩序を重んじ、開かれた自由な国際社会をつくる
  ⇒海洋国家として航海の安全や海洋環境保全でリーダーシップ
  ⇒地球温暖化対策や熱帯雨林保全、砂漠化防止、水環境保全
  ⇒日米安保に加え、豪州やインド、ASEAN等との関係強化

(5)プライマリーバランスの黒字化:歳出削減先行
  ⇒徹底した歳出削減を中心に財政の黒字化
  ⇒医療の効率化を含め、社会保障費の伸びの抑制
  ⇒歳出削減徹底後にそれでも足りなければ、その時増税を検討

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十和田湖の底で発見された旧日本軍機とみられる機体引き揚げ進む

2012年09月05日 15時14分24秒 | まち歩き

フジテレビ系(FNN) 9月5日(水)13時32分配信

『青森・秋田にまたがる十和田湖の底で発見された、旧日本軍機とみられる機体の引き揚げ作業が進められている。
1943年9月、旧日本軍が、秋田・能代飛行場から青森・八戸に向かう途中消息を絶ち、十和田湖に墜落したといわれていた。
その機体とみられるものが2010年、十和田湖の底で発見され、操縦席や主翼など、ほぼ原形を保った状態だった。
墜落からおよそ70年が経過し、もろくなっている機体は、一部が湖底に埋まり、引き揚げは一時断念された。
しかし、8月から調査が再開され、3日、機体の4カ所をベルトでつるしウインチで引き上げることで、湖底からの引き離しに成功した。
4日、幅およそ18メートルもある機体は、およそ8時間かけて、沖合100メートル付近まで移された。
5日は、さらに機体を湖面近くまで引き上げたあと、機体全ての陸揚げを目指すという。』

1943年9月、旧日本軍の「一式双発高等練習機」が、秋田・能代飛行場から青森・八戸に向かう途中消息を絶ち、十和田湖に墜落したといわれていた飛行機大東亜戦争中、太平洋戦争中の証言者です。日本中までこのような飛行機が、沈んだままではないでしょうか。

一式双発高等練習機

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

一式双発高等練習機 キ54

陸軍航空通信学校所属の一式双発高練

陸軍航空通信学校所属の一式双発高練

一式双発高等練習機(いっしきそうはつこうとうれんしゅうき)は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍練習機キ番号(試作名称)はキ54。略称・呼称は一式双発高練一式双高練双発高練など。連合軍コードネームHickory(ヒッコリー、クルミの意)。開発・製造は立川飛行機

目次

[非表示]

概要 [編集]

1939年(昭和14年)、帝国陸軍は立川飛行機に対して九五式二型練習機の後続機として、多目的に使用できる高等練習機の試作を指示した。条件として全金属・双発・引込脚式を基本とし、正副操縦者のほかに操縦訓練生・航法手訓練生・通信手訓練生・爆撃手訓練生・旋回機関銃手訓練生などの生徒とその教官助教、計6~7名が乗り組むことを求められた。立川では、中島九七式輸送機ロッキードスーパーエレクトラライセンス生産機であるロ式輸送機を生産した経験を生かして開発し、試作機は1940年(昭和15年)6月に初飛行した。審査結果は良好だったため若干の機体の改修の後、1941年(昭和16年、皇紀2601年)7月に一式双発高等練習機として制式採用された。

立川としては初めての自社開発の全金属製双発機だったが、エンジンの信頼性が高く機体の耐久性に優れ、また操縦席からの視界がよく、機内も様々な訓練に対応できる広いスペースが確保されているなど使い勝手に優れた傑作機であった。そのため操縦・航法練習機型の甲型(キ54甲)、通信・爆撃・射撃練習機型の乙型(キ54乙)といった多目的練習機としてだけではなく、輸送機型の丙型(キ54丙)、哨戒機型の丁型(キ54丁)も生産され、連絡機としても使用された。主に航空関係の各種軍学校教育飛行隊、司令部飛行班や航空審査部飛行実験部にも配備され、丙型は空挺部隊である挺進連隊(挺進団・第1挺進集団)の落下傘降下練習機として、また民間機(名称:Y39型輸送機)としても使用された。また、少数機が満州国軍にも要人輸送機として供与された。

生産は1945年(昭和20年)6月まで行われ、総生産機数は1,342機であった。戦後も各地に残っていた機体が国共内戦第一次インドシナ戦争で、日本人志願兵の操縦のもと運用されている。

キ110 [編集]

太平洋戦争大東亜戦争)の激化により戦略物資の枯渇を見越した陸軍は、1943年(昭和18年)に、一式双発高練の輸送機型の全木製型としてキ110の試作を指示した。作業は同年10月より開始されたが、完成直前の1945年7月に空襲により機体だけでなく、図面、資料とも焼失してしまった。再度、試作が開始されたが終戦により未完成のまま終わってしまった。

墜落機 [編集]

2010年(平成22年)8月、青森県/秋田県十和田湖湖底の地形調査を行っている会社によって、一式双発高等練習機が沈んでいるのを確認したとの報道があった。1943年(昭和18年)9月27日に同湖に墜落した北部第74部隊(北方軍指揮下の内地部隊の通称号)所属の機体とみられている。墜落当時、乗員4名(少年飛行兵3名と教官役の整備兵1名)のうち少年兵1名が、たまたま湖に漁に出ていた近くの旅館主(翌年に召集されシベリア抑留生活で亡くなった)に救出されホテルへ送り届けられた。墜落地点は最も水深の深い「中湖」で、漁をしていた場所から20分程度要するため到着した時には既に機体は沈み全員の救出は困難だった。現代になって当時13歳で墜落の一部始終を目撃した旅館主の息子が宿泊中の地形調査会社の者に墜落地点などを詳しく話したところ探索が開始され機体を発見した。機体の引き上げに関しては今後話し合いを進める様子[1]

機体は水深300m強の湖底に着底しており、年間を通し水温4~5℃かつ淡水のため機体の腐食は少なく、また垂直尾翼飛行部隊マークや胴体の国籍標識ラウンデル)の日章など、当時の塗装も残っている[2]

スペック [編集]

  • 全長: 11.94m
  • 全幅: 17.9 m
  • 全高: 3.58 m
  • 主翼面積: 40m2
  • 自重: 3,120 kg
  • 全備重量: 4,080 kg
  • エンジン: 日立ハ13甲 空冷9気筒エンジン515HP×2
  • 最大速度: 367km/h
  • 航続距離: 960km
  • 実用上昇限度: 7180 m
  • 乗員: 5~9名
  • 武装: (型によって異なる)
    • 7.7mm旋回機関銃(テ4)×4
    • 爆弾 最大1500kg (15kg×10)

脚注 [編集]

  1. ^ テレビ朝日スーパーモーニング』2010年8月13日放送、読売テレビ情報ライブ ミヤネ屋』2010年8月17日放送
  2. ^ 旧陸軍練習機、十和田湖で発見…戦時中に墜落:社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

関連項目 [編集]