小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
【講演予定】12月22日 小出裕章さん、広瀬隆さんの講演『終焉に向かう原子力』が池袋にて開催されます
2012年9月27日
きたる、2012年12月22日(土)に小出裕章さん、広瀬隆さんの講演が行われますので、このブログでも共有させていただきます。
情報元は「終焉に向かう原子力 終焉に向かう原子力の情報を発信します」です。
以下、情報を引用いたします。 この投稿の続きを読む ?
きたる、2012年12月22日(土)に小出裕章さん、広瀬隆さんの講演が行われますので、このブログでも共有させていただきます。
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昨日の自民党総裁選では、またしても予想を外しました。
5人の候補のなかで石破さんが勝つと思っていました。
実際に自民党の党員投票では、石破さんの圧勝でした。
しかし、国会議員による決選投票では安倍さんが勝ち、
民意により近い党員の意思は反映されませんでした。
安倍新総裁の就任直後に行われた記者会見では、
塩崎元官房長官が司会をしている中継映像を見て、
なんか懐かしい雰囲気を感じました。
6年前と変わらない雰囲気でした。
当時は、「お友達内閣」とか、「なんでも官邸団」とか、
いろいろ言われましたが、今度はどうなるのでしょう。
そういえば安部総理は当時「再チャレンジ議連」を作り、
再チャレンジ可能な社会を作るとおっしゃっていました。
しっかり再チャレンジし、見事に成功をおさめました。
次の総選挙は「自民党の再チャレンジ」が問われます。
前の安倍政権から5年。もう一度安倍政権になるのか
誰がなっても同じだとはわかっていたが安倍晋三総裁に決まり、その
記者会見を聞いてあらためてバカさ加減を思い知らされる。
何も変わっていない。これでは自民党の未来はない。
お抱え評論家のようになってしまった日刊ゲンダイであるが、その9月
27日号はこれで自民党は臨終だと書いている。
ところが自民党をここまで酷評する日刊ゲンダイがその隣に、「史上
最低野田松下政経塾内閣の異様」と題して次のように書いていた。
民主党の党役員人事はオソマツの一言だが、野田首相が帰国後に予定
している内閣改造は、目をむくものになりそうだ、と。
樽床、前原、福山の入閣が確実視され、玄葉、松原は留任という。
野田首相を筆頭にこれで松下政経塾内閣の出来上がりだ、と。
民主党最後の内閣が史上最低では民主党は完全にタガがはずれてしまっ
たと酷評しているのだ。
これが日本の二大政党のなれの果てである。
しかしはっきり言えることがある。
米国は戦後体制からの脱却を訴える安倍晋三を決して認めないということだ。
それは米国が決めた日本占領政策を否定することになるからだ。
米国にとっては難でも言う事を聞く弱体野田政権が続くことこそ都合がいいのだ。
安倍自民党も豹変して野田民主党のようにならなければ政権をとれないのだ。
それにしても小沢一郎を排除した菅・野田民主党の罪は深い。
その小沢一郎が排除された小沢裁判の控訴審は奇しくも自民党総裁選
と同じ日の9月26日にわずか一日で結審した。
11月12日にも予定されている判決は無罪判決となって小沢裁判は
終わるという。
今頃になって検察審査会の強制起訴は問題だったなどとメディアは書く
(9月27日日経)。
この責任は誰がとるのか・・・
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1. 「戦後史の正体」(創元社)の著者である孫崎享氏と私の
外務官僚OB二人がこの国の正体を徹底的に論じ合いました。
その動画が以下の通り発売されましたので案内します。
孫崎享×天木直人 「戦後史の正体」出版記念特別対談
http://foomii.com/files/interview/amakixmagosaki2012/0907/
2. 都合により休んでいた天木・植草対談を以下の通り9月29日(土)
から再開します。
サタデーナイトライブ2012 天木×植草の時事対談
http://foomii.com/files/interview/nightlive2012/
今回の時事対談では、政治・国際情勢・経済分野それぞれのホット
ニュースについて時間の許す限り徹底的に討論を行います。
了
『国際通貨基金(IMF)が8月1日の報告書で指摘したように、日本国債の利回りが欧州の国債のように急上昇した場合のリスクが懸念されています。日本国債はどれくらい危ないのでしょうか。』
日本は、世界一の債権国です。日本国債の暴落はありません。中国経済のバブル崩壊はいつかが問題になります。上がれば下がる経済の常識です。中国やイギリス、フランスの国債のほうが危険と思います。いざとなれば日本の国を思い日本が保有しているアメリカ国債等を売却すれば、大丈夫と思います。最後は、政治家に憂国士の熱き血潮と勇気があるか無いかの問題です。経済学者者 P・クルーグマン氏の 「間違いだらけの日本経済 考え方がダメ」を読めば分かります。
経済学者者 P・クルーグマン 「間違いだらけの日本経済 考え方がダメ」
今年後半、二番底の可能性がある/日銀が「インフレなどとんでもない」と言い続ければ、日本は破産する/消費税アップのタイミングはこの大不況真っ只中の時ではない。日本はアメリカより深刻な不況にあることを理解すべきだ/財政赤字の問題を優先させれば、デフレ・スパイラルを加速させるだけである。
菅首相は一刻も早く消費税アップに向けた議論を始めたがっている。しかし、舌鋒鋭い「闘う経済学者」はこう言った。「急ぐ必要はない」と。財政再建よりも先に、日本がまずなすべきこととは―。
インタビュー/松村保孝(ジャーナリスト)
「日本は、アメリカよりも深刻な不況に直面しているということを、理解すべきです。もちろん、アメリカ以上に歳入を増やす必要もあります。
しかし、日本の消費税を上げるタイミングは、少なくとも『大不況真っ只中の今』ではないことは、明らかです。
この15年間、日本はずっと『流動性の罠』(金利が一定水準以下に低下し、一般的な金融政策が効力を持たない状態)に陥っていて、デフレも収まっていません。
そんな状況下で、景気の回復よりも財政赤字の解消を優先すれば、デフレ・スパイラルを加速させるだけです。だから増税は、日本銀行がインフレ・ターゲット(目標として掲げる物価上昇率)を設定して、その効果が見えてきた後で始めればいい。
また、法人税の引き下げが取り沙汰されていますが、各企業の経営者にとって、『法人税が高すぎる』と主張するのは、当然でしょう。ただし、今の税率が歳入や景気に悪影響を及ぼしているという確たる証拠がない以上、それほど重要な問題だとは考えていません
2012/09/23 22:41更新
『メルマガNEWSポストセブン』では、『ウェブはバカと暇人のもの』の著者としても知られるネット編集者の中川淳一郎氏が、その週にネットで話題になったニュースのツボを解説している。9月14日配信の32号でも、
「中国のユニクロ、アウディが相次いで反日メッセージ出し炎上」
「『人体の一部を食べるイベント』で4人が書類送検」
など、その週にネット上で起きた様々な事件を紹介しているこのコーナー。なかでも今週「もっともネット的」とでもいうべきネタが「横浜市議 日中関係悪化を受け蓮舫議員にツイッターでからむ」というネタだ。
* * *
いやはや、実に日中関係をめぐり、アツい議論が巻き起こった1週間ではありましたが、とんだところからとばっちりを受けたのが蓮舫議員です。彼女は台湾出身なわけですが、18歳の時に日本に帰化するよう父親から伝えられた時に「屈辱的だった」と話したという説に、横浜市議の斉藤たつや氏が「これが事実ならば、日本人をやめていただきたい」とツイッターで発言しました。
その後、斉藤氏に同調する人々の存在に気を良くしたのか、同氏はガンガン「レンホウ議員が屈辱と感じていることを、日本破壊の方向につなげなければいいなと心配しています」などと愛国発言をするわけですね。
本文の続き 最終的には、“「18歳のあなたにとっては帰化しろと言われたときどうでした?」という質問に、お答えいただければありがたいです”と蓮舫氏にツイッターで呼びかけました。
しかし、冷静なツイッターユーザーから“当然のこととして、一般国民が「個人的主観を理由」に、他の国民の国籍放棄に言及するのは、人道的差別です」”とやんわり言われ、斉藤氏は「要は、経緯はどうあれ、日本の国会議員なのだから、日本の国益のために活動してもらうことを願っています」とトーンダウン。
まぁ、愛国をネットで謳うことにより、支持を得ようと考えた節が斉藤氏にはあるわけですが、一人の人間を公人・私人どちらであれ、国籍についてネチネチと言及を続けるのはあまり美しくはないですね。
それにしても、斉藤氏、ずっと「レンホウ氏」と書くわけですが、パソコンの予測変換で「蓮舫」と出ないんですかね。あれだけ名指しするんだったら、辞書登録するか、Google日本語変換を導入すべきと老婆心ながらアドバイスしたいと思います。
※参考サイト
横浜市議会斉藤たつや議員、蓮舫国会議員に「18歳で帰化した時の気持ち」を
聞いちゃう『togetter』
蓮舫議員です。18歳の時に日本に帰化するよう父親から伝えられた時に「屈辱的だった」と話したという説に、横浜市議の斉藤たつや氏が「これが事実ならば、日本人をやめていただきたい」とツイッターで発言しましたが、過去の発言ですが、本当のことなのでしょうか。中華民国の台湾人として、台湾の国に誇りを持ち、祖国を愛するのなら日本に帰化する必要はないと思います。日本でのマスコミや政治活動の足かせになり、日本の社会での地位と名声確保や出世の為の利便性を考えた帰化とも受け取れる発言です。日本人でもアメリカを愛するならアメリカ国籍を取得すれば良いと言うことです。その国国籍を取得するのは自由です。横浜市議会斉藤たつや議員も私人としての立場、公人として、立場も地位を含めて法律的には区別されます。『斉藤氏、ずっと「レンホウ氏」と書くわけですが、パソコンの予測変換で「蓮舫」と出ないんですかね。あれだけ名指しするんだったら、辞書登録するか、Google日本語変換を導入すべきと老婆心ながらアドバイスしたいと思います。』と書いていますが。最近の週刊誌を大手新聞社も本来漢字で書くべき所のひらがな表示やカタカナとひらがなの表示の混同、数字も漢字と英数文字の不統一な使用と日本語の漢字を無理にひらがなに直したり、カタカナ表示にしたり日本語の乱れ、正しい日本語を使うべきですし日本語を大切にしない表現や表記が多過ぎます。マスコミの子供たちへの悪影響の一つです。最近の愛国心無き、日本人とは思えないマスコミメディアの日本を愛する心にも結局起因しています。斉藤 たつや(さいとう たつやさん御自分の名前も振り仮名を付けて漢字で表記してください。
読売新聞 9月27日(木)10時3分配信 『自民党の安倍新総裁は27日午前、党幹事長に石破茂前政調会長(55)(無派閥)を起用する方針を固め、石破氏に電話で就任を要請した。
石破氏は受け入れた。安倍氏は27日中にその他の党役員人事も固め、28日に新執行部を発足させる考えだ。
石破氏の幹事長起用は、26日投開票が行われた総裁選の党員投票で、石破氏が安倍氏の2倍近い票を獲得したことを考慮したものだ。石破氏は党員票300票のうち165票を獲得し、2位の安倍氏(87票)に大差を付けた。党の地方組織には、国会議員のみが投票した決選投票で、安倍氏が逆転したことに不満が広がっている。安倍氏としては、石破氏の幹事長起用で衆院選に向けた態勢を強化するとともに、地方の不満の沈静化を図る狙いもある。
石破氏は27日午前、安倍氏の要請を受け入れた後、国会内で記者団に、「(安倍氏には)総選挙に勝てる体制をつくるため、党人事の相談をさせていただきたい、』
沖縄県尖閣諸島の領土問題では、安部晋三新総裁は一歩も引かないと思いますし、防衛お宅と言われいます防衛通の石破茂氏の幹事長起用で、日本の海防の充実、国防力強化の布陣、影の内閣と思います。石破氏海兵隊構想は、離島防衛の為と思いますが。戦前の旧日本帝国海軍の陸戦隊のように特別訓練し海上自衛隊内に特設部隊の編成が出来ると思います。失われた10年と言われ未だに回復しない日本経済の景気回復の第一義に優先し、実効性有る景気対策を実行して欲しいと思います。国民の生活を明るく豊かなすることが今は一番大事と思います。明治維新の勤皇の志士十傑の中の1人、佐賀県出身の江藤新平の逸話 『 江藤が出した意見書は非常に画期的で民主的である。その代表として「国の富強の元は国民の安堵にあり」という意見書の一文がある。他方、外交については積極的な対外進出を主張しており、明治4年(1871年)3月に岩倉具視に提出した意見書には清をロシアとともに攻めて占領し、機会を見つけてロシアを駆逐し、都をそこに移すといった内容のことが書かれている。』
日本の政治家 江藤 新平 えとう しんぺい | |
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生年月日 | 天保5年2月9日 (1834年3月18日) |
出生地 | 肥前国佐賀郡八戸村 |
没年月日 | 明治7年(1874年)4月13日 |
死没地 | 佐賀 |
親族 | 江藤新作 |
初代 司法卿 | |
任期 | 明治5年4月25日(1872年5月31日) - 明治6年(1873年)4月19日 |
江藤 新平(えとう しんぺい、天保5年2月9日(1834年3月18日) - 明治7年(1874年)4月13日)は日本の武士(佐賀藩士)、政治家である。幼名は恒太郎・又蔵。諱は胤雄、胤風とも、号は南白。朝臣としての正式な名のりは平胤雄(たいら の たねお)。維新の十傑の1人。
目次[非表示] |
肥前国佐賀郡八戸村(現在の佐賀県佐賀市八戸)に佐賀藩士・江藤胤光・浅子の長男として生まれる。江藤家は肥前小城郡晴気保の地頭・千葉常胤の末裔を称する。父は「手明鑓」という身分の下級武士であったとされる。嘉永元年(1848年)に藩校の弘道館へ入学し内生(初等中等)課程は成績優秀で学費の一部を官給されたが、父が職務怠慢の咎により郡目付役を解職・永蟄居の処分となったため生活は困窮し外生課程に進学せずに弘道館教授で儒学・国学者であった枝吉神陽の私塾に学び、神道や尊皇思想に影響される。このころ新平は窮乏生活を強がって、「人智は空腹よりいずる」を口癖にしたという。嘉永3年(1850年)に枝吉神陽が義祭同盟を結成すると、大隈重信・副島種臣・大木喬任・島義勇らとともに参加した。
江戸時代後期の外国船の日本近海への出没やアメリカのペリー艦隊やロシアのプチャーチン艦隊などが来航して通商を求めるなどの時勢の影響を受け、安政3年(1856年)には意見書である『図海策』を執筆する。安政4年(1857年)に結婚。藩の洋式砲術、貿易関係の役職を務める。
文久2年(1862年)に脱藩し京都で活動し、長州藩士の桂小五郎(木戸孝允)や公家の姉小路公知らと接触する。2ヶ月ほどで帰郷し通常脱藩は死罪であったが、江藤の見識を高く評価した藩主・鍋島直正の直截裁断により永蟄居(無期謹慎)に罪を軽減されたとされる。蟄居後は寺子屋師匠などを務め、同士との密かな交流や幕府による長州征伐(幕長戦争)での出兵問題では藩主・直正への献言を行うなど政治的活動は続けている。
15代将軍徳川慶喜が大政奉還を行って幕府が消滅した慶応3年(1867年)の12月に新平は蟄居を解除され、郡目付として復帰する。薩摩藩、長州藩は公家の岩倉具視と結び明治元年(1868年)の王政復古の大号令を行い、新政府が誕生すると佐賀藩も参加し新平は副島種臣とともに京都に派遣される。
戊辰戦争で江藤は東征大総督府軍監に任命され、土佐藩士の小笠原唯八とともに江戸へ偵察に向かう。薩摩藩の西郷隆盛と幕臣の勝海舟の会談で江戸城の無血開城が決定するや、江藤は城内の文書類を接収する。さらに京都へ戻り、大木喬任と連名で岩倉具視に対して江戸を東京と改称すべきこと(東京奠都)を献言する。旧幕臣らを中心とする彰義隊が活動していた問題では大村益次郎らとともに討伐を主張し、軍監として上野戦争で戦い彰義隊勢を上野寛永寺周辺に追い詰め、さらに佐賀藩のアームストロング砲を遠方射撃する戦術などにより彰義隊は瓦解する。明治2年(1869年)には、維新の功により賞典禄100石を賜っている。
戊辰戦争が一段落した後、新政府が設置した江戸鎮台においては長官の下の6人の判事の1人として会計局判事に任命され、民政や会計、財政、都市問題などを担当する。7月には江藤の献言が通って明治天皇が行幸して、江戸は東京と改称される。明治3年(1870年)1月には佐賀に帰郷して着座(準家老)に就任して藩政改革を行うが後に中央に呼び戻され、同年11月に太政官中弁となる。12月、虎ノ門で佐賀藩の卒族に襲撃されて負傷する。明治4年(1871年)2月には制度取調専務として国家機構の整備に従事し、大納言・岩倉具視に対して30項目の答申書を提出する。近代的な集権国家と四民平等を説き、国法会議や民法会議を主催して箕作麟祥らとともに民法典編纂に取り組む。
文部大輔、左院副議長、司法省が設置されると明治5年(1872年)には司法卿、参議と数々の役職を歴任。その間に学制の基礎固め・四民平等・警察制度整備など近代化政策を推進。特に司法制度の整備(司法職務制定・裁判所建設・民法編纂・国法編纂など)に功績を残す。政府内における急進的な民権論者であり「牛馬ニ物ノ返弁ヲ求ムルノ理ナシ」として牛馬解放令とも呼ばれた司法省達第二十二号(娼妓解放令)、民衆に行政訴訟を認めた司法省達第四十六号などが知られる。また官吏の汚職に厳しく新政府で大きな力を持っていた長州閥の山縣有朋が関わったとされる山城屋事件、井上馨が関わったとされる尾去沢銅山事件らを激しく追及、予算を巡る対立も絡み2人を一時的に辞職に追い込んだ。
だが、その一方で欧米的な三権分立の導入を進める江藤に対して行政権=司法権と考える伝統的な政治的価値観を持つ政府内の保守派からは激しく非難された。また急速な裁判所網の整備に財政的な負担が追いつかず、大蔵省との確執を招いた。
明治6年(1873年)には朝鮮出兵を巡る征韓論問題から発展した政変で西郷隆盛・板垣退助・後藤象二郎・副島種臣と共に10月24日に下野。明治7年(1874年)1月10日に愛国公党を結成し12日に民撰議院設立建白書に署名し帰郷を決意する。
大隈・板垣・後藤らは江藤が帰郷することは大久保利通の術策に嵌るものであることを看破し慰留の説得を試みる。しかし江藤はこれには全く耳を貸さず翌13日に船便で九州へ向かう。江藤は直ぐには佐賀へ入らず2月2日、長崎の深堀に着きしばらく様子を見ることになる。
この一方、大久保は江藤の離京の知らせを知った1月13日には佐賀討伐のための総帥として宮中に参内し、2月5日には佐賀に対する追討令を受けている。もちろんこの時点では佐賀側では蜂起の決起さえ、いやそれどころか江藤は佐賀に入国さえしていなかったことに留意する必要がある。江藤は完全に大久保の掌中にあったといえるだろう。
2月11日、江藤は佐賀へ入り、憂国党の島義勇と会談を行い12日、佐賀征韓党首領として擁立された。そして、政治的主張の全く異なるこの征韓党と憂国党が共同して反乱を計画する。
2月16日夜、憂国党が武装蜂起し士族反乱である佐賀の乱が勃発する。佐賀軍は県庁として使用されていた佐賀城に駐留する岩村通俊の率いる熊本鎮台部隊半大隊を攻撃、その約半数に損害を与えて遁走させた。
しかし、やがて大久保利通の直卒する東京、大阪の鎮台部隊が陸続と九州に到着した。佐賀軍は福岡との県境へ前進して、これら新手の政府軍部隊
フジテレビ系(FNN) 9月27日(木)6時47分配信『27日未明、兵庫・神戸市の住宅街のごみ置き場に、生後まもない女の赤ちゃんの遺体が捨てられているのが見つかった。27日午前1時半ごろ、神戸市北区有野中町3丁目のごみ置き場で、「ごみ袋に赤ちゃんのようなものが入っている」と通報があった。
警察官が駆け付けたところ、神戸市指定の燃えるごみ用の袋に、生後まもない女の赤ちゃんの遺体が入れられ、ごみとして出されていた。
赤ちゃんは、へその緒がついたままの裸の状態で入れられていて、目立った外傷はなく、死後、それほどたっていないとみられる。警察は、司法解剖して死因を調べるとともに、死体遺棄事件として捜査している。
現場は、神戸電鉄田尾寺駅からおよそ300メートル南の住宅街』
最近生後間が無い赤ちゃんが捨てられる出来事多いと思います。今の不況で生活苦と育児の難しい環境もあると思います。出産と育児サポート出来る国や地方自治体の出産、育児支援のシステムが必要です。少子高齢化の日本で、妊娠中絶や闇から闇にほおむられる今の日本の小さい貴い生命の現実です。