教育カウンセラーの独り言

今起こっている日本の教育の諸問題と受験競争の低年齢化している実態を見据えます。

山内康一 の「蟷螂(とうろう)の斧」キャリアセミナー講師!

2015年01月20日 19時58分54秒 | 国際・政治

引用元http://yamauchi-koichi.cocolog-nifty.com/blog/


2015120 ()

キャリアセミナー講師!

何と落選後の初めての仕事(バイト)が、
某大学のキャリアセミナーの講演です。

都内の某名門私大の学生相手に話します。
賢い学生が多いだろうから緊張します。

国際協力の分野に特化したセミナーですが、
失業したばかりの私がキャリアを語るのも、
なかなか大胆な試みです。無謀かも?

ブラックジョークと言えなくもありません。
私を講師に呼んでくださった先生の立場が、
大丈夫なんだろうかとちょっと心配です。

「こんな人生を歩むと、後悔するぞ」という、
まねしてはいけない例なのかもしれません。

最後の結論は「良い子はまねしないでね」
というものかもしれません。

あまり偉そうなことを言えない立場の私が、
どうやって90分のセミナーを乗り切るか、
真剣に考えなくてはいけません。

失敗を繰り返してきた人生を振り返って、
「これをやったら、大失敗した!」とか、
「こんなことをして後悔している」とか、
そんなことは言えそうな気がします。

国際協力分野の学生を対象にしているので、
JICAやNGOの経験も多少は話せます。

外務省や国連機関と付き合いがあったので、
多少は話すこともできるでしょう。

自分の半分くらいの年齢の若者たちに対し、
良いことも悪いこともあまり隠し立てせず、
素直にお話ししてきたいと思います。

90分も話したり、質疑応答するためには、
かなり事前に準備していく必要があります。

国際協力の最近のトレンドといったことは、
若干うといので勉強しなくてはいけません。

政界から社会に復帰していく第一歩となる、
記念すべき最初のアルバイトということで、
しっかり準備して臨みたいと思います。

自分自身の新しいキャリアのスタートです。
単発の講演ですが、次につながるように、
大学での活動は大事にしたいと思います。

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2015119 ()

民主党代表選より「ようじ男」

昨日は民主党の代表選挙でした。
臨時党大会に私も参加しました。
政治イベントへ久々の参加です。

岡田新代表の決定の報道量より、
話題の「ようじ男」の報道量が、
多かったような気がします。

少なくとも私が見たニュースは、
例の「ようじ男」の報道の方が、
先だったし、報道時間も長くて、
ちょっとがっかりしました。

商品につまようじを混入させて、
動画を投稿し続けたという事件。
本当にそんなに重要ですか?

また、この手の愉快犯というのは、
マスコミに報道されるのが快感で、
報道するのは犯人の思うつぼです。

逆にメディアの大半が無視すれば、
犯人の動機付けが弱くなるので、
犯罪の抑止につながるでしょう。

愉快犯のしょうもない微罪よりも、
より本質的な問題や深刻な問題が、
もっとあるように思います。

類似の愉快犯を生みかねないような
やたらと派手な報道はひかえた方が、
世の中のためだと私には思えます。

2015年1月17日 (土)

 

情報搾取の構造?

落選して無職になると取材はなくなる、
と思っていました。そうでもないです。

政治の現状についての取材はないものの、
マニアックなテーマの取材があります。

某新聞社からはODA大綱見直しに関し、
某放送局からは候補者の選び方に関して、
電話取材を受けました。

ODA大綱見直しについて論点を整理し、
20~30分かけて丁寧に解説しました。
的確に答えられる識者は多くありません。

候補者の選び方については英国の例を挙げ、
詳しい政治学者を何人か紹介しました。
それにもやはり20分以上かかりました。

衆議院議員時代はメディアに説明するのは、
義務だと思って、こころよく応じました。
もし記事に名前が出ればもうけものです。

みんなの党の国会対策委員長だった頃は、
番記者から頼まれ、国会で起きる事態を、
丁寧に解説していたものでした。

担当の番記者が交代すると「前任者から、
わからないことがあったら山内に聞けと
引き継ぎました」と何度か言われました。

しかし、落選した今では取材に応じても、
自分の名前が新聞紙面に出ることもなく、
テレビの放送でも名前は出ません。

便利で無料の情報源という感じで使われ、
取材に応じてもメリットはありません。
長年蓄積した情報をタダで出しています。

謝金も何もなく、経済的見返りは皆無で、
名前が出ないので、名誉もありません。
ただ搾取されているような気がします。

時間をとられる割に見返りはゼロです。
それでもなんとなく答えてしまいます。
失業中の身としては釈然としません。

安定した職と収入を持つ大企業の記者が、
失業中で無収入の私から情報を搾取して、
楽しているという不条理な構造です。

持っている知識やノウハウを加工し、
収入につなげる方法を見つけないと、
知的搾取構造は変わりません。

万国の知識労働者よ、団結せよ!
と主張するつもりはまったくないですが、
情報分析や言論で食っていく道を探って、
搾取の構造を変革したいと思います。

 

2015年1月16日 (金)

初めての女子大訪問

昔からの知り合いの大学教授を訪ねて、
都内の某名門女子大に行きました。

女子大に足を踏み入れるのは人生初です。
こわごわと大学の門をくぐるやいなや。

まず入り口で警備員に声をかけられます。
さらに次の守衛室でも声をかけられます。

名門お嬢様学校らしく警備も厳重です。
不審な41歳中年男は警戒対象です。

カトリックの女子大で閑静なキャンパスで
立派な歴史的建造物がいくつもあります。

こんなに自然が多くて静謐なキャンパスが、
都心に存在すること自体が奇跡的です。

研究室の職員なのか、大学院の助手なのか、
みんな品の良い女性ばかりで緊張します。

わが母校のように小汚いかっこうをした、
化粧っ気のない女子学生は少ない様子。

都心のおしゃれな場所に立地した大学では、
学生も自然とおしゃれになるのでしょう。

知り合いの教授と学食で昼食をとりましたが、
若い女性ばかりで場違いな印象を受けます。

そこにいてはいけない二人組のようでした。
女子大のおじさん教員は、たいへんです。

うちの娘たちもこういう大学に入れたら、
きっと上品になるのかもなどと考えます。

こういう大学からは非常勤講師の仕事も、
おそらくオファーがないと思います。

こういう女子大で教えることを想像すると、
冷や汗をかきそうな予感がします。

教えるんだったら男女半々くらいがいいな、
とか余計なことを考えてしまいました。

 

2015年1月15日 (木)

仕事の質の変化

衆議院議員時代といまの生活をくらべて、

ひとつ変わったのは仕事の質でしょう。

 

以前は秘書やスタッフに任せていたことは、

すべて自分でやることになります(当然)。

 

昨年末には選挙事務所を撤収したものの、

掃除が不十分だったという指摘を受けて、

今日は午前中ひとりで掃除をしました。

 

窓にセロハンテープの一部が残っていたり、

両面テープの接着剤が付着していたりと、

雑巾と指を使って一人黙々と作業しました。

 

両面テープで窓ガラスにポスターを貼ると、

接着剤がどうしても残ってしまいます。

 

接着剤をはがす専用のスプレーを借りて、

雨の降る中でさびしく作業をしていると、

秘書のありがたみが改めてわかります。

 

以前は主要紙(読売、朝日、毎日、日経、

産経、東京)すべて目を通していました。

週刊誌も政治欄はほぼ読んでいました。

 

いまはコンビニや駅の売店で1紙だけ買い、

その1紙を丁寧に読むようになりました。

下手すると1紙も読まない日もあります。

 

毎日すべての新聞に目を通す時間もないし、

そのお金ももったいないと思うようになり、

マスコミ報道に接する機会は減りました。

 

以前は人と会うにしても議員会館が多く、

こちらから出向くことは少なかったです。

いまは100%こちらから出向きます。

 

移動の時間が、非常に長くなりました。

国会周辺、浦和、春日部と移動だけで、

けっこうな時間を浪費しています。

 

頭を使う仕事がかなり少なくなって、

その代わりに足と手を使っています。

早く変化に適応しなくては・・・

 

2015年1月15日 (木) 12 その他 | 固定リンク

 

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発言相手と演説する場を間違えている安倍首相 new!!天木 直人

2015年01月20日 18時22分21秒 | 国際・政治

新刊発売のお知らせ


new release

Naoto Amaki

天木直人
天木 直人
Naoto Amaki
japan
 
  イスラエルを訪れた安倍首相がネタニヤフ首相と会談して中東和平への努力をうながしたという。
 イスラエルを訪れた安倍首相がホロコースト記念館で演説し、差別が人を残酷にすることを学ぶことが出来たと語ったという。
 それらをきょう1月20日の各紙が一斉に報じている。
 安倍首相の中東外遊の成果を宣伝する、以前から準備された予定調和の記事だ。
 いいだろう。
 そのような安倍首相の発言自体は、なんら批判されるものではない。
 しかし、中東和平の努力をうながしたネタニヤフ首相のイスラエルは、ちょうど同じ時、安倍首相の願いなどおかまいなhしに、ゴラン高原を空爆し、レバノンの反イスラエル武装抵抗組織ヒズボラの戦闘員とイラン人司令官を殺害している。
 安倍首相がホロコースト博物館でわざわざスピーチを行った背景には、戦後70年を念頭に「歴史修正主義」に対する批判を払しょくする狙いがあると、きょう1月20日の産経新聞に見透かされている。
 そうであれば、その演説を行う場所は日本とは無関係な中東地やホロコーストではなく、真っ先に中国や韓国の歴史博物館であり、習近平主席や朴クネ大統領との首脳会談の場だろう。
 それが日中、戦後70年の年に入った日本外交の最優先課題だ。
 しかし、いよいよその年に入ったというのに、日中、日韓関係改善の糸口さえ見えず、首脳会談の目途が立たず、みずからその努力をしようともしない。
 その一方で、およそ安倍首相のこれまでの政治人生の中で無縁であった中東の地で、誰が見ても心に響かないようなとってつけた言動を繰り返す。
 日本外交を貶める自分だけがよければというパフォーマンスだ。
 そんな振付に忙しい外務官僚は先輩たちに対して恥ずかしいと思わないのか。
 なぜメディアは安倍外交の間違いに一言も触れないのか(了)
 
2015年01月20日
 政権を取り戻すと叫ぶ民主党の大きな勘違い
 
 民主党代表選の候補者も、そして代表選が終わって党首に選ばれた岡田氏も、決まって口にする言葉がもう一度政権を取り戻す、という言葉だ。
 それを目標にするのはいい。
 そしてそれは野党として当然だ。
 しかし、そのためにも民主党は当面は野党に徹することだ。
 政権交代が目的になってはいけない。
 政権交代はこれからの民主党の活動の結果だという認識が不可欠なのだ。
 具体的に書こう。
 安倍政権の暴政を徹底的に批判して、その一つでもいいから阻止し、あるいは国民が望んでいる政策を一つでも安倍政権から勝ち取る。
 当面はこれにすべてをつぎ込むのだ。
 たとえばきょう1月20日の東京新聞が一面トップで大きく報じている。
 原発避難者の移住が急増していると。
 政府の無駄な除染と強制帰還策を見抜いた辮髪避難者が、新しい場所で早く再生したいと、負担を覚悟で移住しているという。
 帰還したい者はいい。
 しかし移住したい者の意見も尊重し、そのための財政負担を国が全面的に行う。
 そういう政策を民主党が安倍政権から勝ち得たら、国民は喝采するだろう。
 たとえばきのう19日の菅官房長官の記者会見発言だ。
 自衛隊海外派遣の恒久化法案を、なんと今国会に提出し成立を目指すという。
 こんな法律が成立すれば憲法9条はお終いだ。
 そしてこのままでは安倍政権がその気になれば成立するだろう。
 もし民主党が反対して法案阻止に成功すれば、この国の半数以上の護憲派の国民は、民主党を見直すだろう。
 しかもである。
 政権交代は急いで行う必要はない。
 万が一民主党が来年の衆参同一選挙で勝って政権に就いても、待っているのはどうにもならない難問ばかりだ。
 そんな難問はすべて自業自得の安倍政権に押しつけてやらせばいいのだ。
 何も出来ない安倍政権を徹底的に批判していればいいのだ。
 そのうち必ず行きづまり国民の不満は頂点に達する。
 そういう時期が来たときに、おのずから政権は転がり込んでくる。
 その時もし民主党が存続していれば。
 問題は、いまの民主党にそれが出来るかだ。
 原発避難民を助けられるか。
 自衛隊海外派遣恒久法を潰せるか。
 特定秘密保護法を廃案に追い込めるか。
 消費税増税や原発再稼働を阻止できるか。
 対米従属のTPP交渉を止めさせられるか。
 いまの民主党ではどれ一つ期待できそうもない。
 民主党にいま求められているのは、性急に政権交代を目指す事ではない。
 再び政権交代が果たせた時に、今度こそ国民の期待を裏切らない政党になれるかだ。
 そのためには、野党である今、ひとつでも安倍暴政を止める実績をつくることだ。
 おそらく出来ないだろう。
 民主党の問題はまさしくここにある。
 民主党の問題は野党としての最低限の仕事が出来ないところにある。
 これは民主党批判ではない。
 私にとって精一杯の民主党に対するエールである。
 このメッセージが岡田民主党に伝わるだろうか(了)
引用元http://www.amakiblog.com/archives/2015/01/post_2844.html#trackbacks

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「笑わん殿下」岡田克也代表が、大事な「魂」を抜かれた「虚ろな政党」を再生させるのは絶望的だ

2015年01月20日 16時10分41秒 | 国際・政治

 

2015年01月20日 00時54分31秒 | 政治

◆民主党の「笑わん殿下」岡田克也代表は、幹事長など党役員人事に着手し、枝野幸男幹事長を 留任させ、細野豪志元幹事長を政策調査会長に抜擢することを決めた。岡田克也代表選出に貢献した枝野幸男幹事長に対する論功行賞である。今回の代表選挙 は、民主党を政権政党から野党に転落させたいわゆる「戦犯6人組」(岡田克也元副総理、玄葉光一郎元外相、野田佳彦前首相、前原誠司元代表、枝野幸男元経 済産業相、安住淳元財務相)のうち、前原誠司元代表が、細野豪志元幹事長を支持した以外、全員が岡田克也代表を支持した。
 代表選挙に出馬した岡田克也代表は1953年7月14日生まれ61歳、長妻昭元厚労相は1960年6月14日生まれ54歳、細野豪志元幹事長は1971 年8月21日生まれ43歳。「老・壮・青」3世代の戦いだった。その結果、「老・青」のうち「老」が「壮」を引き込み連合して、勝利を得た。だが「老・ 壮」連合が、辛うじて僅差で「青」を制することができた形だ。それだけにエネルギッシュな細野豪志元幹事長を軽んじることはできない。それどころか、 「老・壮」連合が数年も経てば、「老害視」される危険性は大である。
◆岡田克也代表は、決選投票に臨む演説で「原理主義者とニックネームをつけられてきたので、私自身が変わらなければならない」と反省の弁を述べていた。だ が、いかに「蛙好き」ではあっても「原理主義者・純化路線・自主再建論社・政策本位主義者」という基本的な性格を一気に変えるのは、難しい。しかも、岡田 克也代表には、「理想の旗」がない。「自由・平等・博愛(友愛)」で言えば、「自由」は「自由民主党」、「平等」は「社会民主党」、「博愛(友愛)」は、 「博愛(友愛)民主党」を顕現しなければならないのに、いまの民主党は、「博愛(友愛)」を顕現せず、曖昧模糊とした政党になっている。フリーメーソン・ イルミナティが「民主党」をつくらせたという裏の経緯から見れば、「アイデンティティ(自己同一性)」が欠落している。しかも、「友愛精神」を掲げてきた 創業者の鳩山由紀夫元首相を排除してきたので、大事な「魂」を抜かれた「虚ろな政党」に堕している。このままでは、民主党の再生は、絶望的である。
◆最もガッカリさせられたのは、岡田克也代表が、就任の記者会見後、会場となったホテル内の書店に真っ先に飛び込み、国会議員の経歴や当選回数などを簡潔 にまとめた「政官要覧」を買っていたということだ。読売新聞が1月19日付け朝刊「3面(総合面)」で報じていた。「いまごろになって」という感がある。 それは、「選挙の神様」と言われた田中角栄元首相のエピソードを思い浮かべて、比較したからである。岡田克也代表は自民党時代、当初、田中角栄元首相が率 いた派閥「木曜クラブ」の流れを汲む「経世会」(竹下登派)に所属していた。「小沢一郎という男の野望」(板垣英憲著、大陸書房刊、1992年8月15 日)の「第三章 受け継がれた政治家の血」―「田中角栄、政治的"父〟」のなかで、以下のように記述している。

 昭和四十四年四月、小沢は、当時、自民党幹事長だった田中に面会を求めて、一人で挨拶に行った。田中は、笑顔を浮かべながら、迎えてくれた。そのうえ、
「選挙に勝つには、辻々で説法し、一人で三万軒を回る覚悟が必要だ。選挙区内の神社の石段が何段あるかも知っているくらいでないといけない。いいか、思い切ってやれ、必ず応援する」
 と言って、力強い励ましの言葉を与えてくれたのである。田中流の選挙は、辻説法にはじまって辻説法に終わると説かれているほど、徹底した戸別訪問を原則としている。足に血豆ができ、それがつぶれても歩き続けるのだ。
 小沢は、田中に巡り会ったとき、ドブ板選挙のコツを教えられた。田中は、小沢が挨拶にきたとき、すでに数千人の支持者を集めているという情報を入手していた。
 二世であるから、親の財産のような支持者がたくさんいて当然である。しかし、小沢は同級生や知人、友人に積極的に声をかけて、支持者を糾合しつつあったのだ。
 いまでも語り草になっているが、田中は、一日に二回就寝したと言われている。午後九時に一度寝て、午前零時に起き、その日にあったことを秘書から報告を 受けた。その後で、午前二時から三時まで読書にふけった。愛読書の一つは、国会便覧だった。選挙区を一つ一つ丹念に見ながら、衆参両院の国会議貝について の情報を暗記した。派閥などの人脈や当選回数、得票数などを覚えたのである。
 このほか、役人に関する情報についても、熱心にインプットした。入省年次や経歴、閨閥などに至るまで、鉛筆をなめなめ、大事と思うものに線を引く。赤ペンで○×をつけて記憶にとどめた。それから寝る。
 朝は、六時に起きて、陳情団に対応した。こうしたことは、幹事長時代から習慣になっていたという。全国の選挙区の情報は、自派の勢力拡大の強力な武器になった。公認権を発揮する際の匙加減、カネの配り方、権限の行使に当たって、田中は、これらをフルに利用した。
 この手法は、昭和四十七年七月五日の自民党大会における総裁選挙の決戦投票での多数派工作に当たっても、威力を発揮している。
そればかりでなく、首相になって官邸入りしてからは、各省庁の官僚たちをコントロールするのに大いに役立った。首相が自分の入省年次まで記憶しているのを知って、大抵の官僚たちが、感服させられたという。
 田中は、門下生の小沢が衆議院議員に当選したばかりのころ、
「一郎よ、政党人でやるなら、総理総裁を目指す前に幹事長を狙え」
 と口癖のように言って教えた。師匠の薫陶を受けて、小沢は、「オヤジの言うように、オレも幹事長になるぞ」
 と素直に心に決め、師匠の教えに従って、着実に天下盗りの道を歩みはじめた。田中は、小沢をわが子のように可愛がった。あふれるような愛情を注いだ。
 田中は、長男・正法をわずか三歳で亡くしている。長男は、小沢と同じ年であり、小沢の顔を見るたびに、田中は、長男を重ね合わせて見ているようだった。
 田中の気持ちを察した小沢は、田中に対して実の親と同じような感覚で仕えた。田中は自分の持っている政治のノウハウを惜しみなく伝授しようとした。小沢にとって田中は、親であり、政治の師匠という二つの側面を持っていた。
 小沢は、田中にとって、良い子供として、田中の期待に応えて模範的な政治家になろうと努力した。
 事実、小沢は、蔵相や外相という重要閣僚こそ歴任はしていないものの、自治相や内閣官房長官を務めて、幹事長就任という目標を達成している。
 幹事長になる政治家は、派閥間の力のバランス上のやむを得ない異例人事を除いて、通常の場合は、所属する派閥の領袖か、もしくは、派閥の有力後継者として同志から認知された人物であることを意味する。
 すなわち、上に領袖が元気であるとき、幹事長に抜擢された政治家は、この派閥を継ぐ長男坊主になったことなのである。親分の次に偉い後継者としてツバをつけたのだ。それは、派閥の内部ばかりでなく、外部を含めて衆目の一致するところでもある。
 竹下政権のとき、小渕恵三幹事長が内閣官房長官、五歳年下の小沢が、内閣官房副長官という配置だった。
 それが、海部政権になって、小沢が、幹事長になり、小渕を飛び越えて上位に立ち、逆転した。現在は、竹下派の会長代行の座にあり、文字通り長男としての地位を認められている。
 今日の小沢の姿は、実は、小沢が衆議院議員に当選して自分の懐に入ってきたときから、田中が夢に描いていたことなのである。

本日の「板垣英憲(いたがきえいけん)情報局」

安倍晋三首相は、米国の「第3次世界大戦」勃発策動に加担し、「戦争への道」に引き込まれつつある


◆〔特別情報①〕
 安倍晋三首相が、同盟国である米国のオバマ大統領、ケリー国務長官、ヘーゲル国防長官が、「第3次世界大戦」を勃発させようとしている策動に否応なく加 担させられて、「戦争への道」に引き込まれようとしている。その動きが、中東「エジプト、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ」4か国・地域訪問であるとい う。一体、どういうことになっているのか?




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平成27年2月8日 (日)
出版記念講演
※勝手ながら演題を変更させて頂くことになりました。何卒ご了承下さいませ。
ゴールドマン・ファミリーズ・グループが認める唯一の承認者
吉備太秦が語る「世界を動かす本当の金融のしくみ」
~地球経済は36桁の天文学的数字《日本の金銀財宝》を担保に回っていた
            
引用元http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken
◆新刊のご案内◆

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板垣 英憲
ヒカルランド

 

地球連邦政府樹立へのカウントダウン! 縄文八咫烏(じょうもんやたがらす)直系! 吉備太秦(きびのうずまさ)と世界のロイヤルファミリーはこう動く 人類9割が死滅! 第三次世界大戦は阻止できるか?! (超☆はらはら)
板垣 英憲
ヒカルランド

 

中国4分割と韓国消滅 ロスチャイルドによる衝撃の地球大改造プラン 金塊大国日本が《NEW大東亜共栄圏》の核になる (超☆はらはら)
板垣 英憲
ヒカルランド

 

NEW司令系統で読み解くこの国のゆくえ ロスチャイルドの世界覇権奪還で日本のはこうなる(超☆はらはら)
板垣 英憲
ヒカルランド



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<三井物産>安永竜夫氏が新社長に 32人抜きの人事

2015年01月20日 15時23分24秒 | 日記

毎日新聞 1月20日(火)12時11分配信「 三井物産は20日、飯島彰己社長(64)が4月1日付で退任し、安永竜夫執行役員(54)が昇格する人事を発表した。安永氏は取締役ではなく、副社長らを飛ばして32人抜きの人事となる。飯島氏が会長に就任し、槍田松※会長(71)は取締役に退いた後、6月の株主総会後に顧問となる。
 安永氏は東京大工学部卒業後、1983年同社入社。主に発電所建設などのプラント畑を歩み、2013年4月から執行役員兼機械・輸送システム本部長。
 三井物産は昨年6月、取締役でない執行役員でも社長に就任できるよう定款変更していた。社長候補を若手にも広げるための措置で、安永氏は適用第1号になる。
 三井物産は昨年、3カ年の中期経営計画を発表した。今年4月で就任6年を迎える飯島社長は経営陣の若返りをはかり、経営計画の実現を託す。【種市房子】

1960年の愛媛県のお生まれ、副社長らを飛ばして32人抜きの社長御就任、商社としてこれから厳しい国際競争を生き抜く為にも年齢的にも御活躍のお年と思います。32人抜きとは言わず、ご健康に注意されて一億人一気抜きこれから頑張って下さい。

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受験と私:ジャパネットたかた新社長 高田旭人さん 「根拠のある自信を」

2015年01月20日 14時33分12秒 | 受験・学校・学問

 

2014年12月08日

高田旭人氏=2014年11月12日、垂水友里香撮影
高田旭人氏=2014年11月12日、垂水友里香撮影
高田さんに当時のことを聞きました
高田さんに当時のことを聞きました

 ハイトーンボイスで商品の魅力をお茶の間に語りかける高田明社長でおなじみの通信販売大手ジャパネットたかた。2015年1月、新社長就任の高田旭人さん(35)に「根拠のある自信」を得るための勉強法を聞きました。

       ◇

 父が祖父のカメラ店から独立し、長崎県佐世保市にジャパネットたかたの前身となる小さなカメラ店を開いたのは1986年です。当時、家族でカメラ店の2階に住んでいて、商売をする両親の背を見て育ちました。近くには武雄、嬉野(佐賀県)といった温泉街があり、父はよく店を閉めてからカメラを持って出かけていき、客の写真を撮っては夜中のうちに現像。翌朝、売りに行っていました。当時から付加価値ということにこだわっていて、小さな街の写真店だったにもかかわらず、九州でも有数の売り上げを上げて話題になったりもしました。そういう姿をみて育ったためか、中学、高校ごろには自然と「会社を継ぐものだ」と考えていて、大学受験はそういう立場(社長)になる前提で考えていました。

 父の会社に進むのだったら、「息子だからというだけで後継者になった」と思われたくなかった。「東京大に行けば大丈夫だろう」。恥ずかしい話ですが、最初はそれだけで何を学びたいとか、どの教授に学びたいという考えはありませんでした。ですが、将来経営に携わりたかったので、学部・専攻の選択肢が多い理2を受験しました。1年浪人した後、合格しました。

 現役の東大入試の日のことは忘れられません。一番得意の数学が始まってすぐ、鼻血を出だして解答用紙が真っ赤に染まりました。答案を交換してもらうのに10分ロス。力んだのでしょうね。僕の場合は現役で激しく失敗して、浪人で修正し合格したので、受験生にアドバイスしたいことはいろいろあります。』

親御さんの出身大学以上の大学に合格するのは、教育者や大学の教授のお子さんでも難しい受験競争時代です。お見事です。緊張のあまり鼻血を出されたそうですが。今の時代創業者の後二代目社長が続いている会社は少ないです。健康に注意されてジャパネットたかたを更に発展させる為にもこれから若さとバイタリテイーで頑張って下さい。

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斉藤仁さん 名勝負は8戦8敗も山下泰裕氏「闘争心に火がついた」

2015年01月20日 14時07分39秒 | スポーツ

スポニチアネックス 1月20日(火)10時59分配信

 ◇斉藤仁氏死去

 20日に亡くなった斉藤仁さんが現役時代、大きく立ちはだかったのは山下泰裕氏(57)だった。
 3歳上の山下氏は1977年から全日本選手権で前人未到の9連覇を達成。最後の3連覇となる83年から85年にかけて、決勝で戦ったのが斉藤さんだった。
 山下氏は81年の世界選手権で史上初の2階級制覇を達成。脂がのり切っている頃に青森生まれで3歳下の斉藤さんが台頭してきたことで、「闘争心に再び火がついた」と述懐している。
 83年は山下氏が判定勝ち、84年は優勢勝ち、現役最後の試合となった85年は甲乙つけがたい好勝負となったが山下氏が判定勝ち。79年の初対戦から山下氏が引退するこの一戦まで8戦して山下氏の全勝だった。
 84年のロサンゼルス五輪では斉藤さんが95キロ超級で、山下氏が無差別級でそれぞれ金メダルを獲得するなど互いに頂点を極めたが、最後まで斉藤さんが山下氏を倒すことはなかった。
 だが山下氏引退後の88年ソウル五輪でも斉藤さんは95キロ超級で金メダルを獲得。山下氏でもなし得なかった五輪2連覇を達成した。」

まだまだこれからの年齢でしたのに胆管癌で、亡くなられたのは本当に残念です。柔道五輪2連覇は、記録に残る栄冠です。

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異彩放つauの「ガラホ」アクオスK アンドロイド搭載でぐっと用途広がるガラケー

2015年01月20日 10時08分11秒 | デジタル・インターネット

 

2015.1.19 19:03更新

 

 

 

「 KDDIが19日発表したauのスマートフォン・携帯電話の春モデルのうち、シャープ製の「アクオスK」が異彩を放っている。従来型携帯電話であ りながら、米グーグル社のスマホ用OS(基本ソフト)「アンドロイド」を搭載した。ガラケーとスマホの中間に当たる“ガラホ”として注目されそうだ。2月 下旬に発売する。 「アクオスK」は3.4インチ画面で、ガラケーおなじみの折り畳み型。ボタン操作ができるだけでなく、ボタン部分全体をタッチパネルのセンサーのように使い、画面のスクロールやポイント操作ができる。 ボタン操作式の従来型携帯はニーズが根強い一方、スマホでは昨年発売された米アップルの「iPhone6プラス」などの大画面機種が増えてきている。  通信スピードは高速通信規格「LTE」に対応。Wi-Fi電波を発信するテザリング機能を搭載して、タブレット端末やゲーム機、パソコンなどをネットに接 続する中継役として活用できるようにした。シニアなどのスマホ初心者に加え、ネット閲覧と通話とで端末を使い分ける“2台持ちユーザー”のニーズに訴求す る狙いだ。』

ガラケーの使いやすさとポケットに入る持ち運び便利さをスマホに活用した新機種と思います。これでガラケーとスマホの機能の区別が今後なくなるのではありませんか。契約料金が問題ですね。

 

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