12月20日 16:30
今年限りで分べんを取りやめる稲垣よしゑさん。「まだまだ続けたい思いはある」と寂しさも隠せない=伊丹市昆陽3
(神戸新聞)
『 95歳の現役助産師、稲垣よしゑさん(兵庫県伊丹市昆陽3)が12月末で、分べんを取りやめる。戦時中から78年間、命の誕生に立ち会い、阪神・淡路大震災では助産院が半壊したが、すぐに再開した。乳児健診などは今後も続けるといい、稲垣さんは「正直、寂しさもあるが、やれることはまだたくさんある」と“生涯助産師”を貫く気構えだ。(斉藤絵美) 「赤ちゃんを取り出す時は、目をつぶっていても無意識に手が動くと思いますよ」。白衣姿の稲垣さんはそう笑う。 三重県出身。助産師だった叔母の勧めで、日中戦争開戦直後の1938(昭和13)年に資格を取得した。結婚を機に関西に移り住み、終戦直後の47年に長男を出産し、翌年には自宅を改築して「稲垣助産院」を開業した。 終戦直後には、武庫川の橋の下で産気付いた母親の出産に立ち会い、流木を燃やして川の水を温め、赤ちゃんを沐浴(もくよく)させた。防空壕(ごう)で暮らしていた家族のお産にも立ち会った。 ベビーブームの頃は“年中無休24時間勤務”のような忙しさで、横に新生児を寝かせて助産院で寝泊まりする生活を続けた。自身も3児の母として家庭との両立に苦労したが、「元気な産声を聞けるのは私たちにしか体験できない。ほっとするし、本当にうれしい時間だった」と?を緩める。 阪神・淡路大震災では、屋根瓦が落ち、土壁が剥がれるなどして助産院は半壊。入院患者が震災前日に退院したばかりで、けが人がいなかったのが幸いだった。災害に備えプロパンガスを使っていたため、ライフラインの復旧は早く、建物の応急措置を終えた2週間後には再開できた。 これまで取り上げた赤ちゃんは「1万人ぐらい」と稲垣さん。今年も12人が誕生した。「お産に慣れはない。一人一人違う」と、妊婦健診では母親の仕事や家族構成などの把握も欠かさない。これまで出産中の事故はなく、親子孫3代で稲垣さんの元で出産した家族もいる。 高齢を理由に家族から“引退”を勧められ、分べんの取りやめを決意。乳児健診や産後の母乳マッサージなどは続けるといい、「若い助産師には積極的に開業してもらい、命を取り上げる喜びにもっと多く触れてほしい」とエールを送る。』
長い間本当にお疲れ様でした。
関西では、産婆と言いますが。
逆子を正常な位置に戻す独特の手技もお持ちです。
私もベテラン助産婦さん、川辺まるこさんに取り上げて貰いました。
長年に亘る経験と技術を若い助産婦さんに伝えてください。