昭江夫人ではなく稲田防衛相が同行した気色悪さ
安倍昭恵夫人は今年の8月に一人で真珠湾を訪問し、その歴史的意義をメディアに語っている。
ならばなぜ、昭恵夫人は今度の安倍首相の真珠湾慰霊の旅に同行しなかったのだろう。
これだけの「歴史的行事」であるというのに。
そしてなぜ安倍首相は昭恵夫人に同行を求めなかったのだろう。
これだけの「歴史的偉業」の晴れ舞台を、目撃させなかったのか。
その代わりに、観光気分でタラップから笑顔で手を振るような軽薄な稲田防衛相を、ファーストレディよろしく同行させた。
違和感を覚えざるを得ない。
そして、違和感といえば、8月にアリゾナ記念館を慰霊訪問した時の、安倍昭恵夫人の服装だ。
夏の普段着にサンダル履きで戦没者の霊に手を合わせていた。
真珠湾慰霊はその程度の軽いものなのか。
安倍夫妻の真珠湾慰霊は何から何まで違和感だらけだ(了)
安倍首相は保守本流の手によって咎められなければいけない
安倍首相の真珠湾訪問について、さっそく中国が注文をつけた。
不誠実だと。
反省なき和解はパフォーマンスに過ぎないと。
私も共同代表に名を連ねている「村山談話の会」が声明を出した。
アジアの国々に対する和解を忘れるなと。
少し前には、オリバー・ストーン監督や日米の学者が公開質問状を出した。
アジアの戦争犠牲者への慰霊に行くのかと。
いずれも、もっともな安倍批判だ。
しかし、中国や左翼がそう言っても安倍首相には通じない。
中国や左翼が安倍首相を批判すれば、一般国民の反発すら招く。
自民党の良識派からこそ、安倍批判が出て来なくてはいけないのだ。
そうすることによって初めて一般国民は気づく。動く。
安倍首相ではだめだと。
安倍首相のやりたい放題に、自民党の内部から誰一人として待ったをかける有力議員が出てこない。
いつまでたっても出てこない。
今の日本の政治の本当の深刻さはそこにある(了)
日米両国首脳による広島・真珠湾の相互訪問は、本来ならば、誰もがもろ手を挙げて歓迎する歴史的偉業のはずだ。
しかし、今度の安倍首相の真珠湾訪問は、手放しで喜べない。
これだけメディアが称賛一色の報道をしているというのに、である。
これだけ安倍首相の慰霊演説が、美辞麗句で埋め尽くされているというのに、である。
なぜか。
答えは明瞭だ。
よほど馬鹿な日本人でない限り、それを知っている。
その理由は、安倍首相が、歴史に不誠実であるからだ。
単なる無知なら、まだ可愛い。
自分に都合のいいところだけをつまみ食いし、「歴史的偉業」を独占しようとするから、たちが悪い。
よほど10年前の「敵前逃亡」がトラウマになっているのだろう。
あの汚名を払しょくするために、これでもか、これでもか、と「歴史的業績」づくりに狂奔しているに違いない。
何をやっても、あの時の汚名は消せないというのに。
慰安婦問題の不可逆合意もそうだった。
村山談話を焼き直した安倍談話もそうだ。
そして今度の真珠湾訪問である。
今度の訪問を持って、「戦後の総決算」などと僭称する。
東京裁判を米国の不当裁判と非難し、それを否定することが戦後レジームからの脱却だと言い張っていたのは、どこのどいつだ。
歴史に不誠実な政治家を首相に持った日本国民は不幸だ。
その、歴史に不誠実な首相が、歴代の首相がためらってきた「歴史的偉業」に次々と手をつけ、食い散らかしていく。
これまでの首相はいい面の皮だ。
これからの首相は、やることがなくなる。
しかし、いかさまは、所詮いかさまだ。
必ず、もういちど、正しい政治家の手によって、やり直し、されなければいけない時が来る。
歴史に不誠実であるかぎり、歴史に逆襲されることになる。
どんなに安倍首相が自画自賛し、メディアがそれに面従腹背して礼賛しても、物事のわかっている大多数の日本国民が、鼻白む理由がそこにある(了)