満洲やくざ人脈<本澤二郎の「日本の風景」(4653)

<岸・笹川・児玉=文鮮明・統一教会国際勝共連合>

 昨日、角川新書の「ドゥテルテ強権大統領はいかに国を変えたか」という本の紹介記事を読んで、その狙いが「岸田」に向けられていることを理解した。しかし、悲しいかな著者も出版社も「やくざ退治」とは書かない。逃げている。庶民の常用語は「やくざ」だ。

 同じく岸田・自公の「統一教会退治」は、背後のやくざを意識しているようで、心もとない法律として完結した。効果は少しだけ、と弁護団は非難している。

 

 文鮮明の統一教会の政治部門の国際勝共連合は、岸と共に笹川や児玉のやくざの大親分が面倒見た極右団体。人間の屑であるやくざが育成した組織そのものではないか。いいことを期待する方がおかしい。児玉は読売のナベツネと中曽根に食い込んでロ事件で沈没したが、笹川は福田・安倍にも食らいついて、天下を取った気分になって浮かれていたが、7・8安倍銃撃事件後に事態は大きく変わった。

 

<やくざ容認の自民党と清和会のどす黒い人脈健在か>

 自民党清和会は、岸のやくざ人脈が巣食っている。国際勝共連合にも。同連合の背後を清和会が擁護する体制だから、国会周辺でも闊歩し、清和会議員の懐の中身まで知ってしまった。要するに、韓国のカルト教団に乗っ取られてしまった自民党である。

 岸田の政治力では、太刀打ちできない。維新にしても松井前代表の父親が笹川の運転手だったわけだから、まさしく安倍の別動隊そのものだった。その維新が立民に手を突っ込んだ。与党追及など出来るわけがない。野党は死に体である。問題法案に賛成した旧社会党勢力も地に落ちた。

 自民党や公明党、さらには維新、立民にもやくざが徘徊することになろうか。A級戦犯の亡霊が徘徊する日本は、やくざ大国ということにもなろうか。満洲人脈のなれの果て、でもある。日本警察は、やくざとつるんでいる犯罪国家に沈黙してしまった。フィリピンと真逆の日本国である。

 

<房総半島にはやくざの倅と運転手が「国民の代表」>

 筆者は元千葉県警本部長の渡辺一太郎元参院議員ととても親しかった。彼は「俺はやくざのハマコー逮捕にこだわったが、尻尾をつかめなかった」と述懐したものだ。彼は骨のある警察官僚だった。

 警視総監から法相になった秦野章さんとは「秦野章の日本警察改革論」をエール出版から出した。二人から日本やくざの正体をよく聞いている。二人から野武士のような強さを感じたが、いまこのような正義と勇気のある警察官僚はいない。ドゥテルテのような人物は日本に生まれない。犯罪国家日本である。 

 

<今世紀最大の政治指導者はフィリピンのドゥテルテ前大統領

 以前の韓国人は「わが国には日本のような入れ墨やくざはいない」と豪語していた。反論できなかった。やくざが豪邸に住んでいることを国際社会は評価しない。強姦レイプは日常茶飯事である。TBS強姦魔だけではない。

 昔のフィリピンは違った。犯罪王国だった。安全が保証されない女性社会だった。レイプ強姦された女性は、日本などに売り飛ばされ、売春婦にされた。入れ墨やくざは日本化の象徴で、麻薬常習者としてフィリピンを犯罪王国にしていた。典型的な日本型の入れ墨やくざの天下だった。

 外国人観光客目当てにホテル前は売春婦で膨れ上がっていた。女性たちは、入れ墨やくざのいいなりだった。そこに「やくざ退治」を公約に掲げたドゥテルテ大統領が誕生した。フィリピン警察は、抵抗するやくざを容赦なく撃ち殺した。逮捕されたやくざの収容所は、不気味な入れ墨に一層不気味な印象を与えていた。愚かな人権団体は、やくざの人権を訴えて、ドゥテルテ大統領にかみついたが「命と人権のどちらが大事か」と反撃し、屈しなかった。

 彼が日本を訪問した時、泊ったホテル前にフィリピン女性が大挙して押しかけた。彼女たちは「女性解放の大統領」を大歓迎した。彼の支持率は常に80%。下がることはなかった。「やくざの人権」よりも「女性の命」を優先したドゥテルテ大統領は、フィリピンの英雄になった。やくざが跋扈する日本から見てもそうであろう。今フィリピンの治安は改善された。機会があればのぞいてみたいものだ。

 

<入れ墨やくざを射ち殺して英雄になった初めての人物>

 女性が安心して暮らせる社会は、為政者の最低限の責務である。ドゥテルテ大統領のような人物が日本にもほしい。入れ墨やくざに牛耳られるような永田町を返上すべきである。警察の腐敗を改革する方法は、ここからである。

 やくざの人権よりも女性の命が大事である。

 「木更津レイプ殺人事件」は、入れ墨やくざ浜名(富津市出身)によって、栄養士が非業の死を遂げた。共に創価学会員である。警察はそれゆえ捜査しないが、警察正常化協議会の大河原宗平氏は「諦めず警鐘を鳴らして欲しい」と指摘する。公明党の「防護服」はいずれ脱がされる運命にある。

 

<日本の法務検察は政府お抱えの子犬レベル>

 やくざ捜査をしない千葉県警は、子犬レベルに違いない。殺人に時効はない。当方は市民レベルのドゥテルテである!

2022年12月13日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)