本澤二郎の「日本の風景」(4876)

<札幌ススキノ首切断私刑(リンチ)事件と娘を思う親の心情>より、転載させて頂きました。

 人生最後の札幌観光では、市内の手ごろな値段の海鮮料理店で舌鼓を打って帰宅した凡人ジャーナリストは、若き安倍晋三が大活躍したススキノ、今そこのホテルでの首切断事件について、特に関心を持たなかった。もちろん、異様な殺人事件だから報道は目にしていたのだが。

 

 新たな動きが分かってくると、事件は娘の単独犯行ではなく、父親も関与していた、ことによると犯人家族の総力戦であると推論できる。私刑・リンチ事件か。本来では、警察に被害届を出して、警察力で犯人を退治する場面なのだが。

 

 そうだと仮定すると、治安の悪化と信頼されない警察という日本事情が透けて見える。子供を思う親は、この世にゴマンといる。我もその一人である。我が息子を植物人間にした帝京大学市原病院の脳外科医は、教授も助教授も東大医学部のOBだったが、彼らは息子の瞳孔が開くという死の寸前になって慌てて手術をするという、信じがたい医療ミスを犯した。親は半狂乱になったが、どうすることも出来なかった。

 さらに東芝病院では、誤嚥性肺炎で入院させておいて、直後に100分も個室に放置するという看護ミスを犯し、痰がのどに詰まって窒息死させた。病室に警報装置も用意してなかった。

 それでいて反省も謝罪もしない東芝を警視庁に刑事告訴したが、東京地検の検事・松本朗は「死体解剖をしていないので死因を特定できない」と開き直って不起訴にした。検察審査会も同様の結論を出して、被害者は泣き寝入りさせられた。

 東芝と検事・松本朗を生涯許すことが出来ない。これが親の心情である。したがって、ススキノ首切断リンチ事件を、立場を代えて加害者の立場から光を当ててみる必要もあろう。

 娘は、最近の浮かれているような子ではなかったという。父親の精神科医も穏健な、患者にやさしい人だと報じられている。宝物のような子供を虐待されたことへの報復と仮定すると、子を持つ親たちはただ興味本位にテレビや新聞の報道に翻弄されてはなるまい。

 

 息子を失ってみて思うことは、子供を元気に育て上げた家庭をみると、もうそれだけで「幸せな家庭」と拍手したい。「他人に迷惑をかけない子供」こそがすばらしい親の子供教育の根本である。

 

<異様な殺人事件の背景に被害者の異常O暴力?>

 この事件の被害者についての報道がないのも不思議だ。遺族の姿も見えない。ススキノ怪事件の原因ともなっている。

 憶測が間違っていればいいのだが、もしかして被害者は、実は悪質な加害者であったのではないか?善良な人間であれば、遺族の怒りや悲しみ、被害者の人柄を報道するはずなのに、それがないのだから。

 

 凡庸な人間でも「おかしい」と思い、ひょっとしてやくざ系ではないかなと。若い女性をたぶらかす悪党ではなかったのか?加害者は悪党の詐欺的言動を信じて悲劇を受けたものか。ふと「木更津レイプ殺人事件」の犯人・富津市生まれのやくざの浜名のような悪人を連想するのだが。

 

 浜名を刑事告発したが、木更津署刑事2課長が告発状を突っ返してきた。彼もまた、やくざと深い関係を持っているのか。追及しなければならない。老いても為すべきことが山ほどあることに感謝すべきか。木更津署の刑事2課は、やくざの巣なのか。疑惑は広がる。

 

<背景に治安悪化と警察不信の現実=法治不在の日本の警察>

 駆け出しの新聞記者の最初の仕事はサツ回りだ。楽しい思い出ばかりである。初代の婦人警官や街角の交番巡査を記事にしたりと、悪い印象はない。

 しかし、伊藤詩織さん事件捜査の警視庁中村格の暴走には怒りを覚えた。元警視総監の秦野章は何というか。その中村事件のことだけでも、安倍・菅の悪政は極まっている。それにまとわりつく番記者ら。つまるところ、自公体制は法治原則を放棄している政治を強行している!恐ろしい事態が進行している日本である。

 

 警察を信用できない。袖ヶ浦市水源地放射能埋設事件に限らない。「木更津レイプ殺人事件」を捜査しない千葉県警と木更津署の不正など、もはや警察を信用する材料がないではないか。不況と犯罪と警察腐敗でこの国は、確実に沈没している。首切断私刑事件が暗示する日本のような気がする。

2023年7月26日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)