日々遊遊!!

散歩道や日々の出来事を・・・

雲南オウバイ、雲南は旅行に行ったことがあります

2010年03月16日 | 散歩(花)
ウンナンオウバイは中国西南部原産の常緑低木、明治初期に渡来しました。オウバイと比較して大きな花がさきます。
オウバイは江戸時代に渡来していますので、オウバイの方が先に日本に来たせいでしょうか、この花はオウバイモドキという別名を持っています。
政界が揺れていますね?! 野党がこうがたがたでは与党はどんな失敗をしても気にしない!!、余裕です、どなたかの高笑いが聞こえてきそう!!
しかし、遠い親せきを自慢する人、アルカイダーに今度は坂本竜馬ですか。

ホトケノザは二つの花の名前です

2010年03月15日 | 散歩(花)
この花はホトケノザと言います。しかし、一般的にはホトケノザと言うと3月9日に掲載したピンクの姫踊子草ににたシソ科の花を言います。
この花はキク科のコオニタビラコという花なのですが、春の七草としてホトケノザと呼ばれているのです。
なぜホトケノザなのかと言うと、広がった葉っぱの形が仏像の台座にみえることからの命名のようです。
ということでホトケノザは二つの花の名前になっているのです。


恩田川大橋近くのサンシュウの林

2010年03月14日 | 散歩(花)
恩田川大橋付近にサンシュウの林がある。サンシュウは中国、朝鮮半島が原産地で江戸中期に日本に渡来したと言われている。
サンシュウは春の花と秋の深紅の実が楽しめるので庭木として人気があります。
ただ、木が横に広がるのでせまい我が家向きではないようです。

カラスノエンドウは食べると旨いらしい

2010年03月13日 | 散歩(花)
散歩道には何処にでもある草です。だんだん背丈が大きくなり、ここにきて花が目立つようになりました。
原産地はユーラシア地方だそうです、学術的にはヤハズエンドウという名前ですが、一班的にカラスノエンドウと呼ばれているようです。
この草は葉も、実も食用に出来るそうで、古代には栽培されていたようです。
ネットで調べたらソテーや天ぷらは結構いけると書いてありました。
いよいよの時は食べられるので知っておいて損はない??

捨てられた残土の中に咲くヒメリュウキンカ

2010年03月12日 | 散歩(花)
ヒメリュウキンカという名前の花です。246の道端に捨てられた残土の中から芽をだして咲いていました。
イギリスが故郷でヨーロッパ、シベリア地方では野生の花として分布しているそうですが、日本では園芸種として育てられ、それが野生化したようです。
地方空港が話題になっています。こんな狭い日本にそんなに空港を作って自己満足までは良いとしても、これから自分たちの税金で赤字を補ってゆく県民の気持ちは複雑でしょう。毎年赤字補てんの何億の金を福祉に使えばいろいろはことができるのにと思うのは私だけでしょうか。


雨にぬれる川の中の桃の花

2010年03月11日 | 散歩(花)
10時ごろ午後からは晴れると言う天気予報を信じて、雨が上がったので散歩にでました。恩田川を歩いていると冷たい雨が落ちてきた、引き返すのも癪なのでそのまま歩いて行くことにした。
雨の川面に桃の花が咲いている、川の中にはいつしか木が生えており、桃の木も数本見られる。
雨に濡れた桃の花をと思い写した写真です。
昨日は午後から天気が回復したのでいつものボランティアに出かけました。何重苦の障害を持つ子どもたちを見てきた後なので元気にトランプをして遊ぶこの子たちは幸せ?!?!この判断は??


寒い中施設の見学へ

2010年03月10日 | 日々雑感?!
昨日は雪のちらつく寒い中、福祉施設へ勉強に行ってきました。
障害がいくつもありながら、親元を離れて勉強する姿には心を痛めたと同時にそれを支えるボランティアの方たちがその施設で活躍されているとの話もあり、また新たな活力をもらった一日でした。
帰りに中華街により、食事をしました。写真は近くにあった媽祖廟です。
媽祖(まそ)は航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神だそうです。

仏の座です、姫踊子草と似ていますね、

2010年03月09日 | 散歩(花)
この花はホトケノザです。姫踊子草ににていますが、葉が茎に巻き付き何段にもなっているところは姫踊子草にはありません。
野草は似ていながらも少し違っているとそれは別の名前が付いているので判別するのはなかなか大変です。
姫踊子草と仏の座は判別しやすい方ですね。
さて昨日は近くの小学校の福祉授業体験支援に行ってきました。この学校は娘が通った学校で、運動会で何度も行っており娘の小さいころを思い出し懐かしい気持ちになりました。


春の香り、沈丁花

2010年03月08日 | 散歩(花)
歩いていると寒いなか良い香りがしてきます。この香りがしてくると春が近いと感じます。
沈丁花は、原産地は中国南部で、日本では室町時代頃にはすでに栽培されていたと言われ、あまり大きくならないので庭木にむいている木です。
我が家にもありましたが、家を建て替える時にしばらく植木屋さんに預けておいた際に枯れてしまいました。
植え替えはあまり好まない木らしいのです。
昨日は一日中冷たい雨が降っていましたが、窓を開けると近くの家の沈丁花の香りがしていました。
久しぶりの晴れ間です、今日はこれから近くの小学校に行って車いす体験授業の支援をしてきます。

やはり親戚は力強いですね

2010年03月07日 | 日々雑感?!

福寿草は正月の花と言われていますが、正月に咲かせるのは温室栽培、路地では春の花だそうです。この花は小さな茎に花だけが咲いているイメージですが、それは咲き始めだけで、だんだん葉や茎も伸びてくるようです。

クロッカスにはいろいろな逸話がありますがその中の一つ、ギリシア神話に登場する美青年クロッカスは、羊使いの娘スミラックスと互いに愛しあっていたが、神々に反対され、青年は自殺する。こんな二人に哀れんだ花の神フローラは、青年をクロッカス、娘を、スミラックス(サルトリイバラ)という花に変えたという逸話があります。土から顔お出し美しく咲くこの花には不思議なな雰囲気がありますね。

昨日は法事で伊勢崎市の天人寺に行ってきました。以前訪れた時は古いお寺と思っていましが、建物が新しくなっており、聞くと、2002年に竜巻にあい本堂が壊れ、墓石も倒れてしまったのだそうです。その時に樹齢200年のカヤノキも一緒に倒れてしまいました。前回の記憶とお寺全体の印象が違うのは大きな木が倒されてしまっているからかも知れません。お寺に行く道には河津桜と思われる濃いピンクの花が咲いており、寺に入ると福寿草とクロッカスなどがが咲いていました。故人の納骨も済、お食事をいただき、親戚兄弟と会話もはずみました。遠い親戚よりも近くの他人とも言いますが、こうして親戚とあって話していると遠くても親戚は力強い、やはり血のつながりは強いなと感じた一日でした。


白花タンポポが咲いていました

2010年03月06日 | 散歩(花)
白花タンポポは昨年の11月に掲載しました。同じ場所でこんな時期にまた咲いていましたので珍しくて撮影してしまいました。白いタンポポは関東では珍しいのですが関西では当たり前の花なのだそうです。
昨日は暖かかったですね、ボランティアの帰り道、掲載したミモザが綺麗に咲いていました。今日からまた寒くなるそうですが、歳をとると暖かい方がありがたいですね。

ひな祭りは終わりましたが桃はまだ蕾です

2010年03月05日 | 散歩(花)
3月3日のひな祭りも終わりました。桃の節句というのですが、桃は未だ蕾です。私の田舎では季節の行事は正月以外は月遅れでやっていました。桃も咲かない、よもぎ餅の草も摘めない、5月の節句では柏餅を作る柏の葉が生えないので季節遅れにせざるを得なかったのでしょう。
月遅れとは、明治6年(1873年)1月1日の改暦後、旧暦時代の日付をそのまま新暦に持ち込んで行事をしようとすると、1ヶ月程度ずれるので、ひな祭り、こいのぼりや、七夕のように季節感の合わないものが出てきた。
新暦と天保暦との季節の差はほぼ1か月である、そこで、日付は新暦のまま、行事の日程のほうを1か月遅らせて行うようになった、これを月遅れといいます。
したがって実際には季節的には月遅れが合っているわけですが、最近はお盆を除いて暦通りにしているようです。


ヒメオドリコソウが咲きだしました

2010年03月04日 | 散歩(花)
散歩道に野草の花が少し咲き始めました。今咲いている野草は、オオイヌノフグリ、ホトケノザ、タネツケバナ、ハコベ、タンポポ、ナズナ、ノボロギクなどです。
写真のヒメオドリコソウ(姫踊子草)は最近咲きだした花です。
この花はヨーロッパ原産の帰化植物で、群生して咲いているようすは踊り子が整列して歩いている雰囲気があります。
花の形はホトケノ座に似ていますが、全体の姿は明らかに違っています。
昨日、一昨日と飲み会が続きました。気の置けない仲間と飲む酒が一番です。

この花はフサアカシアですね

2010年03月03日 | 散歩(花)
この花は房アカシアと思われます。銀葉アカシアと同じ246の近くの畑に植えてありましたが、房アカシアの方が開花が少し遅いようです。
アカシアはミモザともいわれ、フランスでは、花が咲く頃にミモザ祭が開かれ、春を告げる花として愛されているようです。
3月に入り散歩していると、花が咲き始めていることがわかります。
2月は掲載する花がなく苦労しましたが、今度は咲き始めたどの花を掲載するかで悩む時期になってきましたと言うにはまだ少し早いかも。
昨日は東京で大学時代の友人と一杯やりました。勤めているときは毎日通っていた電車も、しばらくぶりに乗ると遠い、良く毎日通ったものだと思いながら乗っていると渋谷で目の前の席が空きました。ラッキーでした。


石塔坂の宝篋印塔は246のそばにあります

2010年03月02日 | 日々雑感?!
石塔坂の宝篋印塔(せきとうざかのほうきょういんとう)は246のそばにあります。
広報によると、宝篋印塔とは、経文を納めておく供養塔です。
恩田に住んでいた、糟屋(かすや)清印という武士が供養の目的で元亀4年(1573年)に造立したもので、中世の石造物で完全な形で現存する貴重なものです。2基が墓地の中で保存されています。坂の名前もこの塔にちなんで、石塔坂と呼ばれています。この坂は246の反対側に続いており、大きく曲がりながら下り、田奈駅前から続く県道川崎・町田線に接続しています。この道をさらに進むと神鳥前川神社があります。ちなみに1573年は信長が将軍義昭(ヨシアキ)を追放し室町幕府が滅亡と年表にはあります。

さて昨日に続き青葉区の歴史について、戦後この一帯は、昭和30年代後半の高度経済成長期を迎えるまで、その周辺は静かな農村地帯でした。
昭和41年の田園都市線の開通を機に、急激な人口増加が始まり、昭和44年には緑区が誕生しましたが、当時の青葉区域の人口は5万人程度でした。
その後も、大規模な宅地開発がすすみ、昭和61年には緑区役所北部支所が開設され、平成6年11月6日には青葉区が誕生しました。
新しく誕生した青葉区は横浜市の北西部に位置し、東は都筑区、西と北は町田市・川崎市、南は緑区に接しています。市内18区中では、面積で第2位、人口で第2位の大きな区です。
区域の約6割が区画整理によって計画的に開発されており、街路樹や公園などが数多く見られる木々に囲まれた美しい街並みが特徴となっています。一方、鶴見川上流の谷本川や恩田川沿いに広がる田園風景、寺家ふるさと村やこどもの国周辺の山林などの豊かな自然も残されています。
また、年少人口と20代後半から30代の構成比が横浜市の平均より高く、市内でも有数の若い区といえます。
ちなみに我が家の表札はまだ緑区です。