夏休みに入る頃、僕は子供を連れて本屋に行く。読書感想文の宿題の為にいわゆる課題図書を買うためだ。毎年読書感想文全国コンクールの課題図書を選ぶ。僕は小学生の時に母親と一緒に読んで親子で感想文を応募したことがある。これまでも読書を通じて子供と話題がつながる経験をしてきた(過去のブログ記事参照)。配偶者アミダラMが原稿用紙に向かう宿題があるとビビリまくる活字嫌いなヤツ。なので、感想文の宿題にアドバイスを出せるのは我が家では僕が担当なのだ。今年もルーク(中1)とレイア(小5)を連れ立って本屋さんへ。平積みされた中からルーク用に選んだのは、佐藤多佳子作「聖夜」。
父親は神父、別れた母親はピアノ弾き。母を嫌いながらも、鍵盤と音楽から心が離れない主人公。ミッション系高校でオルガン部に所属する彼の心の動きを綴った物語だ。ルークは家族の中でアミダラをやや敬遠していて、形だけ?ピアノ習ってたし、音楽は好きだ。何か心に響くものがありゃしないか・・・と選んだのだが、正直言うと僕が読みたかった(えへ)。
ティーンエイジャー男子の言いようのないいらだちや反抗心、親への気持ちが”心の言葉”で綴られている。口には出さない主人公の心の動きが一行一行並べられた行間に、いつしか吸い寄せられているような自分がいた。その表現はとても丁寧。例えば後輩の女子に告白される場面。恋する気持ちになれない理由は、フィーリングの違いだとか曖昧な言葉でごまかされない。一方で同じ後輩の天野に対する気持ちは、天性の演奏の巧さを認める存在だし音楽に関しては理解者の一人かもしれない。しかしなまじ理解者であるがゆえに厳しい言葉をついつい発してしまう。天野には音楽を介したつながりを感じている。この微妙な心情が的確に伝わってくる。文章が読む僕らの気持ちに訴えてくる。自分を捨てた母親とそれをも赦してしまっている父親へのいらだち。悪さをしなかった父親、人を導く神父である父親へのいらだち。その父母についての祖母の台詞「人を傷つけない悪さをしなさい。」も心に残る。
確かに引用されている音楽は、バッハ、メシアン、メンデルスゾーンから、キース・エマーソン、スティーリー・ダン、チック・コリア、ラリー・カールトンと幅広く今どきの中坊が読むには「?」の連続かもしれない。しかしこの本が読書感想文コンクールの課題図書に挙げられたのは、リアルタイムでティーンの彼らが抱えている思いが共感できる文脈があるからだ。40歳半ばの僕が読んでも、あの頃の気持ちを思い起こさせてグイグイ突き刺さってくる文章。これを中高生の頃に読んだら、代弁してくれたような気持ちになれるのではないだろうか。
演奏についての描写にも僕は引き込まれた。オルガンの持続音とピアノの減衰音の違いと、鍵盤のタッチの差。オルガンは強弱ではなくキーを離すタイミング。弾いた人ならうなづけるところだし、そうでない人には同じ鍵盤楽器でも必要な技術が違うことを物語の最初で示してくれる。僕もバンド経験ある鍵盤弾きだが、オルガンの音色を使うときは何か特別だった。前面に出る音、離せば途切れる音。サスティンペダルでごまかせない。それだけに自分の音に責任を強く感じながらプレイしたものだ。
本の後半で、音楽でひとつひとつ生まれた音が人の生である、音も人も記憶にしか残らない、という表現がでてくる。触れれば音が出るオルガンだが、鳴らし続けるにはキーを押し続けるしかない。どう記憶に残るかはキーを押し続ける人の鳴らし方次第だ。クリスマスコンサートの演奏が終わる瞬間の名残惜しい気持ち、音楽に向かう素直な気持ち。その高揚感を綴った部分だけ何度も読み返したくなる。
「神を信じられない」と言った主人公だが、コンサートで響き続ける音の中で、彼の心から発された言葉は”神様”。帰り道にみんなで唄う賛美歌。僕は信心深い人間ではないけれど、この本を読んで思った。自分が心から信じるものを称えたいと思う気持ちが、”神様”なんだろうって。主人公が選曲した「神はわれらのうちに」。それが呼応するラストは見事だ。いい本を読ませていただいた。ルークは「ようわからん」と一言評した。うちの片隅にあるCD棚にあるEL&Pにいつか手をだして聴いたとき、「これか!」って思ってくれれば僕は満足だけど。
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父親は神父、別れた母親はピアノ弾き。母を嫌いながらも、鍵盤と音楽から心が離れない主人公。ミッション系高校でオルガン部に所属する彼の心の動きを綴った物語だ。ルークは家族の中でアミダラをやや敬遠していて、形だけ?ピアノ習ってたし、音楽は好きだ。何か心に響くものがありゃしないか・・・と選んだのだが、正直言うと僕が読みたかった(えへ)。
ティーンエイジャー男子の言いようのないいらだちや反抗心、親への気持ちが”心の言葉”で綴られている。口には出さない主人公の心の動きが一行一行並べられた行間に、いつしか吸い寄せられているような自分がいた。その表現はとても丁寧。例えば後輩の女子に告白される場面。恋する気持ちになれない理由は、フィーリングの違いだとか曖昧な言葉でごまかされない。一方で同じ後輩の天野に対する気持ちは、天性の演奏の巧さを認める存在だし音楽に関しては理解者の一人かもしれない。しかしなまじ理解者であるがゆえに厳しい言葉をついつい発してしまう。天野には音楽を介したつながりを感じている。この微妙な心情が的確に伝わってくる。文章が読む僕らの気持ちに訴えてくる。自分を捨てた母親とそれをも赦してしまっている父親へのいらだち。悪さをしなかった父親、人を導く神父である父親へのいらだち。その父母についての祖母の台詞「人を傷つけない悪さをしなさい。」も心に残る。
確かに引用されている音楽は、バッハ、メシアン、メンデルスゾーンから、キース・エマーソン、スティーリー・ダン、チック・コリア、ラリー・カールトンと幅広く今どきの中坊が読むには「?」の連続かもしれない。しかしこの本が読書感想文コンクールの課題図書に挙げられたのは、リアルタイムでティーンの彼らが抱えている思いが共感できる文脈があるからだ。40歳半ばの僕が読んでも、あの頃の気持ちを思い起こさせてグイグイ突き刺さってくる文章。これを中高生の頃に読んだら、代弁してくれたような気持ちになれるのではないだろうか。
演奏についての描写にも僕は引き込まれた。オルガンの持続音とピアノの減衰音の違いと、鍵盤のタッチの差。オルガンは強弱ではなくキーを離すタイミング。弾いた人ならうなづけるところだし、そうでない人には同じ鍵盤楽器でも必要な技術が違うことを物語の最初で示してくれる。僕もバンド経験ある鍵盤弾きだが、オルガンの音色を使うときは何か特別だった。前面に出る音、離せば途切れる音。サスティンペダルでごまかせない。それだけに自分の音に責任を強く感じながらプレイしたものだ。
本の後半で、音楽でひとつひとつ生まれた音が人の生である、音も人も記憶にしか残らない、という表現がでてくる。触れれば音が出るオルガンだが、鳴らし続けるにはキーを押し続けるしかない。どう記憶に残るかはキーを押し続ける人の鳴らし方次第だ。クリスマスコンサートの演奏が終わる瞬間の名残惜しい気持ち、音楽に向かう素直な気持ち。その高揚感を綴った部分だけ何度も読み返したくなる。
「神を信じられない」と言った主人公だが、コンサートで響き続ける音の中で、彼の心から発された言葉は”神様”。帰り道にみんなで唄う賛美歌。僕は信心深い人間ではないけれど、この本を読んで思った。自分が心から信じるものを称えたいと思う気持ちが、”神様”なんだろうって。主人公が選曲した「神はわれらのうちに」。それが呼応するラストは見事だ。いい本を読ませていただいた。ルークは「ようわからん」と一言評した。うちの片隅にあるCD棚にあるEL&Pにいつか手をだして聴いたとき、「これか!」って思ってくれれば僕は満足だけど。