
■「鑑定士と顔のない依頼人/La Migliore Offerta (The Best Offer)」(2013年・イタリア)
●2013年ヨーロッパ映画賞 音楽賞
監督=ジュゼッペ・トルナトーレ
主演=ジェフリー・ラッシュ シルヴィア・フークス ジム・スタージェス ドナルド・サザーランド
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の映画が好きだ、と書くのは恐れ多い。それは僕が監督作の多くを観ていなくって、これが3本目だからだ。だが観た2本、「ニューシネマパラダイス」と「海の上のピアニスト」には他の映画では味わうことができないような感動があった。どちらも一度きりしか観ていないが、心に強烈に残っている場面があり、それを思い出してじーんとしてしまうことだってできる。それを純粋に好きだと言うことをお許し願いたい。世間の評判がよくって、あのトルナトーレの監督作。「鑑定士と顔のない依頼人」は僕にとってハズレ作であるはずがない。期待は裏切られなかった。美しくて、切なくて、生き方について考えさせられて、しかもミステリーじみた展開にグイグイ引き込まれた。
主人公ヴァージルは絶大な信頼を得ているスゴ腕のオークション鑑定士。私生活はとにかく人間嫌い。交友範囲は画家のビリーや修理屋ロバートなど限られた人だけだ。常に手袋を着用し、食事も気に入ったレストランでとり、自分専用の食器を用意させる潔癖さ。そして、オークションにかかる絵画の中から特に気に入った女性の肖像画を、ビリーを使って落札し密かにコレクションしていた。厳重にロックされた隠し部屋に収められたコレクションの美女達に囲まれて、ヴァージルは一人の時間を過ごす。そんな彼の元に親が遺したコレクションやアンティーク家具の鑑定を依頼する電話が入る。依頼人の若い女性クレアは、まったく彼の前に姿を見せない。クレアの振る舞いや言動に、仕事や生活のペースを乱される彼は再三腹を立てる。だが他者と関わらずに孤独に生きているクレアに、ヴァージルは次第に心を許すようになっていく。一方、クレアの屋敷から機械仕掛けのアンティークの部品とおぼしきものを見つけたヴァージルは、その名品を再現したいと思うようになる。謎の多い依頼人クレアへの興味や個人的なヴァージルの思いは、次第に恋心のように募っていく・・・。
「虜(とりこ)になる」ってこういうことなんだろう。年とってから女性を知ると狂うとよく言うけれど、ヴァージルがたどる運命はまさにそれ。「自分を偽っている人は嫌い」というクレアのひと言で、若く見せるために髪を染めていたのをきっぱりと止めてしまう場面。自分の考えだけを貫いて、周囲もそんな自分に合わせてくれる人生だったヴァージルにとって、このひと言は彼が社会に対して作っていた壁を崩し始めた。突然彼女が姿を消す場面、ヴァージルが狼狽(うろた)える様子はまさに「虜」になったものの醜態。映画の結末を知った上で物語を反芻すると、屋敷の鍵を渡されたとき既に彼は虜になる運命だったとも思える。クレアの愛を手にしたと思ったヴァージルに起こる悲劇的な結末。ヴァージル・コレクションの女性像たちは、彼が虜にしたものでもあり、彼が虜になったものでもある。
ヴァージルが堕ちていった虚構に塗り固められたストーリーの中で、彼が最後まで信じたのは「どんなことがあっても愛している」というクレアの言葉と、彼女が語ったプラハの思い出。歯車に囲まれた装飾があるプラハの店で、ヴァージルが一人誰かを待つような切なくて、空虚なラストシーン。それは企てられた物語の歯車に彼が巻き込まれたことを示すものでもあり、孤独に生きている彼と社会との関係を示すものでもある。とにかく随所に思わせぶりな場面やエピソードが散りばめられていて、それらは後への伏線となっている。ミステリー仕立ての映画だけに、いろんな方々の評では「先が読めた」という言葉をよく見かける。先が読めた自分がすごくって、そんなミステリー慣れした自分を騙せない映画は今ひとつだ、と読める評もやたら目につく。でもね、それは間違っている。「ユージュアル・サスペクツ」みたいに、観客を騙す目的のエンターテイメントとは違うのだ。「鑑定士と顔のない依頼人」は愛の映画。しかも偏った愛情の果てを描いた映画だと思うのだ。でも、誰もヴァージルを笑えない。彼が集めた女性画は、誰もがハマる何かの象徴。例えば、パソコンの中に隠しフォルダ作って、女の子の画像を貯めてるヤツと何の変わりもないじゃない。誰かに夢中になることで、それまでの自分が考えられない行動をとったり、乱れたりすること。この映画のヴァージルの姿は、客席でこの物語を見守る僕らも心のどこかでもっている闇の部分なのだから。