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■「もうひとりのシェイクスピア/Anonymous」(2011年・イギリス=ドイツ)
監督=ローランド・エメリッヒ
主演=リス・アイファンズ ヴァネッサ・レッドグレーブ ジョエリー・リチャードソン デヴィッド・シュリース
歴史上シェイクスピアとされる人物は本当に戯曲を書いた人物ではない、という説がある。よく目にする肖像画に描かれたストラトフォード出身の男が本物だとする”ストラトフォード派”と、別人が作者である、またはグループで書かれたとするのが”反ストラトフォード派”の対立である。実際商人の子供だったストラトフォードの男は、一連の作品に登場するイタリアの都市を訪れた記録もなく、その生涯であれだけのボキャブラリーを駆使できた人とは到底思えない。それに直筆とされる原稿は遺されておらず、あれだけの文豪でありながら遺言に作品のことは触れられていないというのだ。”反ストラトフォード派”の説の中でも有力とされるのが、映画「もうひとりのシェイクスピア」で語られるオックスフォード伯がシェイクスピアだとする説。そんな歴史と文学史を覆すようなスリリングな物語と聞いて、これは観たいと思った文系男子の僕。しかし、一抹の不安があった。それは「インディペンデンス・デイ」などド派手な映画ばかりを撮っている、あのローランド・エメリッヒが監督であるということだ。
華麗に歴史絵巻が始まるかと思いきや、現代の劇場で男がシェイクスピアの偉大さについて語るところから始まる。そしてチューダー朝、エリザベス1世の御代に舞台は変わる。当時人気だった舞台劇は、単に物語を観るだけでなく、世間への風刺や批判など意見表明の場でもあった。その舞台を観ていた貴族オックスフォード伯舞台の脚本家ベンを招き、自分が書いた芝居を上演するように依頼する。決して伯爵が書いたと真実を明かしてはならない。上演された芝居「ヘンリー5世」は市民に絶賛され、喝采の中、役者の一人ウィリアム・シェイクスピアが「自分が脚本家だ」と舞台に現れた。オックスフォード伯の妻は宰相ウィリアム・セシルの娘だったこともあり、身分を明かす訳にはいかなかったのだ。オックスオフォード伯はかつてエリザベス女王と愛し合った仲であったが、セシルの手によって引き裂かれた過去をもっていた。しかしその理由は、単に娘の夫というだけではないもっと深い、因縁めいたものがあったのだ。ヴァージンクィーンであるエリザベス1世には世継ぎがいない。息子の代になった宰相ロバート・セシルは、女王が最も嫌うスコットランド、スチュワート朝のジェームズをイングランド王に就けようと画策。チューダー朝の血筋を尊重すべきと主張する一派と対立していた。市民の力でこれを阻止したいと考えたオックスフォード伯は舞台に「リチャード3世」をかける。舞台で演じられる暴君は宰相セシルのイメージそのもので、市民は政治への不満からヒートアップしていく。暴徒と化した市民や反宰相派は宮殿へ向けて蜂起するが・・・。
元世界史の授業担当だった僕は、チューダー朝の授業が大好きだった。ヘンリー8世を中心としたドロドロとした人間関係や、周辺諸国とのドラマティックなせめぎ合いを話ながら、次の単元に行きたくないと内心思っていたもん(汗)。この映画が楽しくないはずがない。文学と女王への熱い思いを抱えたオックスフォード伯エドワードが、次々と明らかになる登場人物の関係に翻弄されながらも意志を貫く姿がとても心に残る。インクに汚れた指先が、彼の文学への熱い気持ちをわかりやすく示してくれる。心配していたエメリッヒの演出だが、やっぱり観客をノセるのが上手いんだろう、まったく飽きさせることはなく銀幕の前の僕らを歴史の目撃者にさせてくれる。そして作品の原稿を脚本家ベンが追っ手から必死に守るクライマックスも見どころのひとつ。ひとつの説だし、映画の物語は史実通りではないのだろうけれど、こうした人々がいたからこそ、シェイクスピア作品は読み継がれている。若き日のエリザベスを演じたのは、ヴァネッサ・レッドグレーヴの実の娘ジョエリー・リチャードソン。
2013年の最後に映画館で観たのだが、素敵な映画館納めでありました。
映画『もうひとりのシェイクスピア』予告編