村上春樹の「東京奇譚集」以来9年ぶりの短編集である「女のいない男たち」。文藝春秋などで既に発表されている短編に書き下ろし1編を収めている作品集だから、誰も読んでいない新作長編程の盛り上がりではないものの、世間では話題になっている。僕は村上春樹と名が付けばまずは読むファンの一人なので、発売日は会社帰りにまっすぐ本屋さんに向かった。
僕は最初の数編を読んだところで、すごくさみしい気持になった。登場人物たちが感じている"喪失感"がそうさせているのはもちろんだ。例えば「ノルウェイの森」(映画化は残念な出来だったが)のラストに感じた空虚な気持ち。数々の村上作品で味わう、どこかおセンチな雰囲気。それに浸る時間が僕は好きだ。だが、今回の「女のいない男たち」で感じるさみしさはどこか違うように思える。
この短編集の作品は、どれも徹底した男目線で語られている。そして男の生態や考え方をかなり明確に描いている。特定の女性を思って自慰行為をする、自分の一方的な思いだけで女性を翻弄する、そのくせ本当に誰かを好きになると勝手に思い悩んで自滅して。「独立器官」まで読んで、すごく恥ずかしい気持になっていた。この気持って何だろう。
自分に共感できるところがあるから。
似たような経験をしたことがあるから。
経験はないにせよ、同じような気持になったことがあるから。
映画「(500)日のサマー」で、男が思い描く恋愛の理想と現実を見せつけられた瞬間のように気恥ずかしくて。そしてページをさらにめくるにつれ、それを通り越して切なくなってきた。この本は男の不可解な部分についての「取扱説明書」や「解説書」のようですらある。女性の目にはどう映っているのだろう。「シェエラザード」を除いて、女性の体温を感じにくい作品が多いと感じた。例えば「ドライブ・マイ・カー」の"妻"は、存在こそ大きいのに、あらすじを読んでいるかのようにサラッと語られるので、姿が浮かんでこない。それは決して悪いわけではなく、残された男二人の姿に主題があるので当然なのだ。また「独立器官」の美容整形外科医も女性目線だと、きっといけ好かない男性なのではなかろうか。女性にも人生にも自信満々だった彼が、一人の女性をそれ以上好きにならないように努力しながらも崩れていく様は、女性には「?」かもしれない。だけど、思い詰める彼に男性読者はどこかで共感してしまう。ロックが好きかエレベーターミュージックが好きか、みたいな好みの問題なのかもしれないけど。
村上春樹の短編には何とも言えない余韻がある。そこに浸ってちょっと考えてみる時間が僕は好き。そういう意味では、この短編集は僕にそんな時間を与えてくれた。
★
ちなみに文藝春秋社が、この短編集の本屋POPコピーを募集するキャンペーンをやっていた。〆切が発売日・・・そりゃないよーと思いながらも、コピーを考えて応募してみた。なんと採用されて、東京都内の本屋さんに期間限定で僕の文章が貼られている。文藝春秋さま、ありがとうございます。
「村上春樹の小説ってリア充が読むもんだろ?」と思ってた「女のいない男」の貴男。「男のいない女」の貴女。
もしかしたら、この本はそんな貴方を変える一冊になるのかも。
僕が書いたのはこれだ。ハルキストは何を言わずとも本を買う。ハルキスト以外の人々に本を手にさせるには・・・と考えてこんなコピーにしてみた(恥)。正直、これは全部を読む前に書いたもの。読み終わった今、同じことを書いただろうかと考えるとちょっと違う気もする。でも。ある意味、女性を失ったあとの虚しさを感じて、そうならないようにしようと思う人もいるだろうし、少なくとも自分の異性との関わりについて「今のままでいいのかな」と考える人はいるだろう。だとしたら、決してハズレではなかったと思うのだ。なーんてね。
僕は最初の数編を読んだところで、すごくさみしい気持になった。登場人物たちが感じている"喪失感"がそうさせているのはもちろんだ。例えば「ノルウェイの森」(映画化は残念な出来だったが)のラストに感じた空虚な気持ち。数々の村上作品で味わう、どこかおセンチな雰囲気。それに浸る時間が僕は好きだ。だが、今回の「女のいない男たち」で感じるさみしさはどこか違うように思える。
この短編集の作品は、どれも徹底した男目線で語られている。そして男の生態や考え方をかなり明確に描いている。特定の女性を思って自慰行為をする、自分の一方的な思いだけで女性を翻弄する、そのくせ本当に誰かを好きになると勝手に思い悩んで自滅して。「独立器官」まで読んで、すごく恥ずかしい気持になっていた。この気持って何だろう。
自分に共感できるところがあるから。
似たような経験をしたことがあるから。
経験はないにせよ、同じような気持になったことがあるから。
映画「(500)日のサマー」で、男が思い描く恋愛の理想と現実を見せつけられた瞬間のように気恥ずかしくて。そしてページをさらにめくるにつれ、それを通り越して切なくなってきた。この本は男の不可解な部分についての「取扱説明書」や「解説書」のようですらある。女性の目にはどう映っているのだろう。「シェエラザード」を除いて、女性の体温を感じにくい作品が多いと感じた。例えば「ドライブ・マイ・カー」の"妻"は、存在こそ大きいのに、あらすじを読んでいるかのようにサラッと語られるので、姿が浮かんでこない。それは決して悪いわけではなく、残された男二人の姿に主題があるので当然なのだ。また「独立器官」の美容整形外科医も女性目線だと、きっといけ好かない男性なのではなかろうか。女性にも人生にも自信満々だった彼が、一人の女性をそれ以上好きにならないように努力しながらも崩れていく様は、女性には「?」かもしれない。だけど、思い詰める彼に男性読者はどこかで共感してしまう。ロックが好きかエレベーターミュージックが好きか、みたいな好みの問題なのかもしれないけど。
村上春樹の短編には何とも言えない余韻がある。そこに浸ってちょっと考えてみる時間が僕は好き。そういう意味では、この短編集は僕にそんな時間を与えてくれた。
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ちなみに文藝春秋社が、この短編集の本屋POPコピーを募集するキャンペーンをやっていた。〆切が発売日・・・そりゃないよーと思いながらも、コピーを考えて応募してみた。なんと採用されて、東京都内の本屋さんに期間限定で僕の文章が貼られている。文藝春秋さま、ありがとうございます。
「村上春樹の小説ってリア充が読むもんだろ?」と思ってた「女のいない男」の貴男。「男のいない女」の貴女。
もしかしたら、この本はそんな貴方を変える一冊になるのかも。
僕が書いたのはこれだ。ハルキストは何を言わずとも本を買う。ハルキスト以外の人々に本を手にさせるには・・・と考えてこんなコピーにしてみた(恥)。正直、これは全部を読む前に書いたもの。読み終わった今、同じことを書いただろうかと考えるとちょっと違う気もする。でも。ある意味、女性を失ったあとの虚しさを感じて、そうならないようにしようと思う人もいるだろうし、少なくとも自分の異性との関わりについて「今のままでいいのかな」と考える人はいるだろう。だとしたら、決してハズレではなかったと思うのだ。なーんてね。