■「桜田門外ノ変」(2010年・日本)
監督=佐藤純彌
主演=大沢たかお 長谷川京子 柄本明 北大路欣也 伊武雅刀
かつて五社英雄監督の「226」が公開された時、国の行く末を憂う青年のエネルギーは今どこへいったのか・・・みたいな話や評があったのを覚えている。この「桜田門外ノ変」も実は同じ発想やスタンスで撮った映画だ。外国と日本との関係は圧力に屈してばかりではないか、強いリーダーがいない日本の政治はこれでいいのか。国民不在で首相が決まるような状況も徳川家の血筋を重んずる世継ぎと変わらないのではないか・・・とでも言わんばかり。映画の最後、朝廷が江戸城入りする場面で西郷隆盛が桜田門を見て「ここからすべてが始まった。」と言う。そして現在の国会議事堂のアップで映画は幕を閉じるのだ。「新幹線大爆破」や「敦煌」を撮って僕らを感動させてきた佐藤純彌監督は、きっと今の日本を憂う気持ちがあるに違いない。
正直言うと僕は映画冒頭から「え・・・」と拍子抜けしてしまったのだ。だって、あまりにも”説明”が多い映画だったから。いきなり歴史教科書でよく見るアヘン戦争の絵が大画面に映し出されて、「清国の次に列強が狙ったのは日本なのであった・・・」とナレーションが入る。教育映画?。黒船来航の場面も人々の会話に違和感を感じる。「でっけぇな」「鉄でできてるんだぜ」いや、わかるけどその会話はありきたり。感じたことのない脅威があったはずだろうに・・・。さらに観ている間中むずむずしていたのが、時代劇なのに台詞がどことなく現代ぽいところ。北大路欣也の台詞までもがなーんか軽い。逃亡する水戸浪士の一人である大沢たかおを捕らえるために、武士が「捜索に協力しろ」って言うかなぁ?あの歴史ある東映が撮っているのに時代劇らしい”重み”がどこか感じられないのだ。伊武雅刀だけがちょっとオーバーな演技で井伊直弼を演じきっていて素敵だった。
井伊直弼暗殺は映画の始めに登場する。歴史的なクーデターを成し遂げるものの、非業の死を遂げる者、ひたすら逃げ続けて果てる者、正しい行為だったのか苦悶する者、そうしたその後の苦難を描くのがテーマなのだ。全体的に派手さはない。僕がもう一歩満足できなかったのはあくの強いチャンバラ時代劇「十三人の刺客」なんぞを先に観てしまったせいかもしれない・・・うん、きっとそうだろう。
面白いのは、この映画は茨城県の地域振興と郷土愛醸成を目指して企業や団体が出資している映画でもあることだ。ここは重要。映画会社や企業だけが出資して撮った映画ではないので、ロケ地の選定にも茨城県側の意向が反映されることになる。これは新しい地方PRの手法だな、と関心した。主人公が匿われる長者屋敷も捕らえられる温泉宿も、とても素敵な風景だった。行ってみたい!と思ったもの。ところが映画上重要なシーンは、おそらくほとんどがセット撮影。桜田門という場所が場所だけにロケという訳にはいかにだろうけど、暗殺シーンは舞台劇の雰囲気だった。白い雪に飛ぶ血しぶき。襲撃シーンの迫力は特筆すべきみどころ。