◼️「レディ・バード/Lady Bird」(2017年・アメリカ)
監督=グレタ・ガーヴィク
主演=シアーシャ・ローナン ローリー・メトカーフ トレイシー・レッツ ルーカス・ヘッジス
もし僕が女子だったら、素直に観られないのを承知で、20歳前にこの映画に出会いたかった。おかしな事を言う、と思うかもしれないけれど。
この映画、「男にゃわからん」めいた感想をやたらと見かける。確かにこの映画に詰め込まれた、18歳女子が感じていることのいろんな感情や機微やニュアンスは、男子には理解できないだろう。親との関係については、個人的にはところどころ自分を重ねてしまうところがある。この映画で男子なりに感じた共感もあるけれど、「男にゃわからん」と言い放たれると、正直ちょっと悔しいww。
映画友達の女性に「これも観ないでシアーシャ好きとか名乗るのは、ちゃんちゃらおかしい」と言われたことがある。まだ観終わったとは伝えてないけれど、もし伝えたら「そう、観たの。でもわっかんないでしょ。男だもんねー」と言われそうな気もしている(笑)。多分彼女はそんな事言わないだろうけど、もし言われたらマジで悔しい。
でもね。優等生でもなく、変にトガってもないフツーと呼べる高校生の不器用でカッコ悪い日常は、十分に共感できる。あの年頃特有の、親の干渉や自分の住んでる場所をウザったく感じてしまうこと、素直に相談できずに怒らせてしまうこと。僕自身もあれこれ経験あるだけに、結構グサグサ刺さるところがある映画だった。お母さんごめんなさいと何度も思いながら観ていたw。
実は、シアーシャ・ローナンの「ブルックリン」は、大好きで映画館でリピート鑑賞したのだけど、今でもレビューが書けずにいる。社会人デビュー物語の映画は、イケてなかった当時の自分やいろんなことを思い出して何も書けなくなってしまうのだ。「レディ・バード」のエンドクレジット眺めながら似たような気持ちになったけど、少しは気持ちの整理ができたのか、この程度の駄文は書けている。
結局、自分は自分でしかない。自分でつけたレディ・バードでなく、クリスティンと名乗る"等身大の自分"を受け入れる姿は、胸に迫るものがあった。それは男子も女子もない気持ちだろ。80年代育ちの僕には、青春映画「ブライトライツ、ビッグシティ 再会の街」のラストで、マイケル・J・フォックスがそれまでの自分を顧みる場面にどこか重なって見える気もする。