◼️「クイルズ/Quills」(2000年・アメリカ)
監督=フィリップ・カウフマン
主演=ジェフリー・ラッシュ ケイト・ウィンスレット ホアキン・フェニックス マイケル・ケイン
淫らな物語を聞かせよう。聞く覚悟はあるかい?と囁くマルキ・ド・サド。彼の晩年を描いた舞台劇を、フィリップ・カウフマン監督が映画化。サド公爵に対する興味は確かにあったのだけど、それ以上に人間ドラマとしての面白さにグイグイ引き込まれる。
マルキ・ド・サドは精神病院に入れられているが、その財力で好き勝手に振る舞う。聖職者である院長は、淫らな考えを行動に移させないように、文章に書いて吐き出させる方針だった。ところがサドが書いた小説は病院の小間使いによって出版者の手に渡り、フランス全土を揺るがす悪しきベストセラーになっていた。皇帝ナポレオンはこの混乱を正すべく、荒々しい手法を使う精神科医コラール博士を病院に遣わす。サドは小間使いから聞いた噂話をネタに、博士の私生活を暴露するスキャンダラスな演劇を上演して挑発。サドは、お気に入りの羽根ペン(クイルズ)、インク、紙など執筆できる道具をすべて奪われてしまう。倒錯した考えはあれども表現者であるサドは、それでも決して書くことを諦めようとはしなかった。
サド公爵はもちろん、神父も博士も小間使いも、この映画の登場人物に共感できる相手が見つからない。しかし何故か書くことに執念を燃やし、誤った方向であるにせよ信念を貫くサド公爵がカッコよく見えてくる瞬間がある。文章を書き連ねた衣服を身につけて小間使いに誇らしげに見せる彼は、風変わりな衣装をまとったロックスターみたいだ。しかし、ついにその衣類まで奪われる。映画後半をほぼ全裸で演じ続けるジェフリー・ラッシュ。まさに全身全霊の演技。
コラール博士を演ずるマイケル・ケインの徹底した冷血ぶりがまた怖い。ホアキン・フェニックスが聖職者としての信念が揺らいでいく様子は痛々しいけれど、ラストで見せるサドに取り憑かれたような言動にゾッとする。サドのスピリットが引き継がれた瞬間。「ジョーカー」より振り幅が大きいだけに、個人的にはこっちの方が巧いと思う。
サドの淫らな物語は、劇中だけでなく現在も語り継がれる。博士の若妻は読書好きで、サドの著作で性に目覚める。何とも皮肉な展開だが、本で物事を学ぶってこういうことだし、心惹かれずにはいられない。現代だってそれは同じ。また、ケイト・ウィンスレット演ずる小間使いマドレーヌが、辛い仕事から小説を読むことで心が解放されると語る場面も印象的だ。きれいごとしか描かれていない書物よりも、下世話でドロドロした激情の物語は、身を委ねると非日常に連れて行ってくれる。映画の登場人物に共感はできなくとも、僕らはその気持ちには共感できる。だって、多くの映像ソフトが並んでいるレンタル店でこの映画を手にした時点で、僕らもマドレーヌと何ら変わりはしないのだ。
何度も観たい映画ではないし、時に嫌悪感すら感じるけれど、執着の恐ろしさを思い知らせるこの物語は、そんじょそこらの並の映画では味わえない違った満足感を与えてくれる。
マルキ・ド・サドは精神病院に入れられているが、その財力で好き勝手に振る舞う。聖職者である院長は、淫らな考えを行動に移させないように、文章に書いて吐き出させる方針だった。ところがサドが書いた小説は病院の小間使いによって出版者の手に渡り、フランス全土を揺るがす悪しきベストセラーになっていた。皇帝ナポレオンはこの混乱を正すべく、荒々しい手法を使う精神科医コラール博士を病院に遣わす。サドは小間使いから聞いた噂話をネタに、博士の私生活を暴露するスキャンダラスな演劇を上演して挑発。サドは、お気に入りの羽根ペン(クイルズ)、インク、紙など執筆できる道具をすべて奪われてしまう。倒錯した考えはあれども表現者であるサドは、それでも決して書くことを諦めようとはしなかった。
サド公爵はもちろん、神父も博士も小間使いも、この映画の登場人物に共感できる相手が見つからない。しかし何故か書くことに執念を燃やし、誤った方向であるにせよ信念を貫くサド公爵がカッコよく見えてくる瞬間がある。文章を書き連ねた衣服を身につけて小間使いに誇らしげに見せる彼は、風変わりな衣装をまとったロックスターみたいだ。しかし、ついにその衣類まで奪われる。映画後半をほぼ全裸で演じ続けるジェフリー・ラッシュ。まさに全身全霊の演技。
コラール博士を演ずるマイケル・ケインの徹底した冷血ぶりがまた怖い。ホアキン・フェニックスが聖職者としての信念が揺らいでいく様子は痛々しいけれど、ラストで見せるサドに取り憑かれたような言動にゾッとする。サドのスピリットが引き継がれた瞬間。「ジョーカー」より振り幅が大きいだけに、個人的にはこっちの方が巧いと思う。
サドの淫らな物語は、劇中だけでなく現在も語り継がれる。博士の若妻は読書好きで、サドの著作で性に目覚める。何とも皮肉な展開だが、本で物事を学ぶってこういうことだし、心惹かれずにはいられない。現代だってそれは同じ。また、ケイト・ウィンスレット演ずる小間使いマドレーヌが、辛い仕事から小説を読むことで心が解放されると語る場面も印象的だ。きれいごとしか描かれていない書物よりも、下世話でドロドロした激情の物語は、身を委ねると非日常に連れて行ってくれる。映画の登場人物に共感はできなくとも、僕らはその気持ちには共感できる。だって、多くの映像ソフトが並んでいるレンタル店でこの映画を手にした時点で、僕らもマドレーヌと何ら変わりはしないのだ。
何度も観たい映画ではないし、時に嫌悪感すら感じるけれど、執着の恐ろしさを思い知らせるこの物語は、そんじょそこらの並の映画では味わえない違った満足感を与えてくれる。