真新しい注連飾りが迎えてくれた。
秋から行われていた大山積神社の改修工事が終わった。
昭和2年、東平からこの場所に引っ越してきた神社だが、古くなった所を新しい年を前に秋から部分的な補修工事が行われていた。
この神社、元禄4年(1691)の別子銅山開坑と同時に、住友家の守り神として大三島の大山祇神社から分社され、別子銅山繁栄を見守って来た。
神社は、別子銅山労働者の氏神として崇敬され、鉱夫が入出坑する際、坑口にある御祭神を必ず拝礼していたという事だ。最初は目出度町という銅山峰に近い場所にあったのが、昭和2年、東平から現在の角野新田町に引っ越してきたと記されている。
昭和48年に閉山するまで、住友別子銅山の繁栄を見守って来た大山積神社では、今も伝統行事、大鉑(おおばく)祭が1月初旬に行われる。