ステージおきたま

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コントとランとご飯パンにうつつを抜かす老いの輝き

わら(笑)わし隊は行く!

2019-07-28 09:27:33 | 本と雑誌

 菜の花座11月の公演は、「女たちの昭和」第3弾だ。前回『予兆 女たちの昭和前奏』で、満州事変勃発前後の女性誌記者の奮戦を扱った。今度は、時の流れに従えば、日中戦争突入ってことになるよな。目をつけているのは、戦時慰問団だ。個々の戦闘や時々の政治、兵士たちの苦闘についてはたくさん語られている。銃後と言われた内地の人々の暮らしについても様々報告やら創作がある。その戦地と銃後をつなぐ従軍慰問団、意外とその実態は知られていない。

 満州事変を契機に一気に高まった戦争熱、そこに目をつけたのは、大新聞の各社、中でも朝日新聞だった。赫々たる戦果を知りたいとの人々の欲求を受け止めて、新聞の発行部数は飛躍的に拡大した。ならば、その勢いに乗らなくては、いや、もっともっと煽らねば。

 朝日が仕組んだのは、お笑い芸人たちを戦地に慰問団として送り出すこと。と、なれば、当然手を組む相手は、吉本だ。ほらほら吉本、今やニュースランキングトップを突っ走る吉本興業さ。エンタツ、アチャコや金語楼、って言っても若い人たちは知らないだろうが、今で言ったら、サンドウィッチマンとダウンタウンを足したくらいの超人気漫才コンビ、ただし、この頃にはコンビ解消、と、今なら、志の輔、昇太クラスの落語家だ。そこに、都都逸漫談の三亀松、講談の神田ろ山とか、演芸界きってのトップメンバーが揃い、なんと、戦後吉本の名物社長となる林正之助が一団を率いた。

 1カ月におよぶ慰問の旅、公演の回数は40回を超えた。どこの部隊にあっても、待ちかねたとばかりの大盛況、お笑い芸人たちも大いに気を良くして、野天の台上をも厭うことなく夢中で芸を披露し続けた。その様子は当然、日々新聞に掲載され、彼ら帰国の際は、英雄帰還にも等しい大喝采を受けた。戦地の報告も兼ねた国内公演も大好評となって各地で開催された。この成功に味をしめ、その後も幾度となく芸人慰問隊は組織され、戦地の奥深くまで慰問の旅は続いた。

 そんな、わらわし隊の活動を戦争協力、などという視点で見ても始まらない。笑いの持つ力、癒しの力、慰めの力。死と隣り合わせの兵士たちの心を大きくゆすった事実を知っておけばよい。

 そんな活動記録を丁寧に掘り起こしてくれたのは、『戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録』著・早坂隆、中央公論新社刊、だ。こういう隠れた?力作と出会える、それが資料読みの魅力だな。

 ただし、時折挟まれる南京虐殺等への反証は、唐突かつ論証不十分で、言わなきゃいいのに、の感ありだったけど。

コメント
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