台本に前書き、前口上書いたの初めてだ。
わざわざいるか?この台本の目指すところとか、諸注意とか。直に台本読みゃわかる話しだぜ。なのに、何故?
この作品、今までの菜の花座の土俵からちょい勇み足するつもりなんでね、そこんとこ心構えして読んでよね、って、まぁ言ってみりゃ事前告知、老婆心みたいなもんだ。
これまでやったことない試み、一つはストリップを扱うってことだ。井上ひさしさんの追悼ってことなら、修行時代の浅草だろ、フランス座だろ、ストリップと軽演劇だろう、って素早く反応したからね。
次にピンと来たのは、初期井上さんの信条、笑いと面白さありゃそれでいいって開き直りだ。作家として成長するに従い、言いたいことやテーマが育っていった井上さんだが、『日本人のへそ』から劇作にのめり込んで行った初期は、もうこの怒涛の笑いがエネルギーのすべてだった。
今までも笑いにはこだわって来た菜の花座だが、テーマもいらない、筋立てにもこだわらない、人情ほろりにも寄り掛からないとなると、団員もちょっくら面食らうことだろう。それで、異例の前口上となったわけだ。
まっ、不平、不満を感じる前に、先手打って口封じ、ってこかなぁ。
で、これまた異例のことだが、事前も事前、団員に台本手渡す前に、一般公開しちまえ、口上だけ、ってね。多分、これからも公演の宣伝をちょくちょく書いて行くはずだ。そうやって、お色気、笑いのみの次回公演舞台への免疫力を高めて行こうってことなんだぜ。
台本の前口上をそのまま転載、悪しからず。
「昭和38年頃の浅草六区。その外れにある軽演劇ホールテアトロ万華鏡。テレビ時代の幕開けに追い詰められるダンサーやコメディアンたちの悪戦苦闘の物語。
この作品は、故井上ひさしさんへの拙いオマージュ(尊敬・模倣)として作られます。狙いは、初期の井上さんの信念に従い、あくまで笑いであり、面白いことです。テーマとか主張とかはほぼゼロです。言ってみれば、コントを無理やり張り合わせたような作品です。渥美清や三波伸介や伊東四郎を目指すつもりで相手を食うような迫力満点のギャグを目指してください。観客の笑いを引き出すアイディアの提案、歓迎です。
色気も全開!と行きたいのですが、菜の花座の条件(役者がどこまで脱げるか?)、観客の許容度と、演出とのせめぎ合いで決まっていきます。果たして、どこまでエロチックな舞台にできるでしょうか。楽しみです。
作品の時代背景や扱う題材の関係で、放送禁止用語や顔を背けたくなる表現も飛び出してくると思いますが、それも広く言葉を大切にした井上さんの意に沿うものです。
もっと井上さんの笑いや言葉やエピソードを盛り込みたかったのですが、力量不足でその望みは叶いませんでした。中でも言葉遊びについては、まったくお手上げです。駄洒落、地口、語呂合わせ等、初期井上作品を華やかに彩る言葉の万華鏡は、本家本元にお任せいたしましょう。その代わり、井上さんのコントをそのまま、劇中コントとして取り入れました。井上事務所の上演許可が下りればですが、そこはずばり、追悼!井上ひさし、です。
笑いは、役者の持ち味が決め手でもあります。この際、笑いを取れる役者として自己変革するつもりで取り組んでください。
ただ、設定で笑いがおきるシーンをたくさん作ったつもりです。あとは、役者と演出次第、さあて、どこまで、面白く大笑いのステージが作れるでしょうかね。」